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社説・コラム

『潮流』 悲しい色

■報道部長 林仁志

 スペインの画家、リャドに引かれた時期がある。「スタット公園の庭」「グラナダ」など青い色を基調にした作品にとりわけ魅了された。

 爽やか、晴れやかな青ではなく、落ち着いたトーン。凝視すると、画面は沈み、うら悲しさすら漂う。作者の記憶、体験が色に投影しているのではなかろうか―。そんな考えにふけったものだ。

 人それぞれ、悲しみを覚える色があるのかもしれない。自分の場合は緑である。

 新米記者時代、自動車の事故で命を落とした若い男性の遺族を取材した。夏の盛り。今は東広島市になっている町を訪れた。祖父が出迎えてくれ、できたばかりの墓に案内してもらった。

 山の麓にある墓所までの道すがら、祖父は孫の思い出をぽつりぽつりと語った。給料をこつこつとため、念願の自家用車を手に入れた。そこまでするかと思うくらい手入れし、車体はいつもピカピカ。用心深い子で運転も慎重だった。なのにどうしたことか。遠出して単独事故を起こしてしまった…。

 「助手席に乗ってくれる彼女を早う見つけろと言ってたんですよ」。かすかに笑みを浮かべた祖父は、墓前で手を合わせたかと思うと突然膝をついた。「わしが自分のために買った墓所。孫が先に入るとは」。地面に伏せ、むせび泣いた。ズボン、シャツにこびりついたコケの淡い緑。木の間を漏れる光も緑色を帯びていた。以来、木漏れ日に輝く若葉を見ても胸が痛む。

 「赤い色は悲しい」と打ち明けた被爆者がいた。「キョウチクトウの花を見ると、やるせなくなる」。夏の日差しに挑むかのような赤。あの日失った家族や友人を思うと、ほとばしる生命力が恨めしいという。

 平和記念公園のそばを流れる川べりに、その花が今を盛りと咲いている。8月6日がまた巡り来る。

(2017年7月13日朝刊掲載)

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