×

社説・コラム

『この人』 「ヒロシマ・アピールズ」ポスターを制作したグラフィックデザイナー 原研哉さん

被爆者目線で惨状表現

 72年前の8月6日、広島の人々の頭上で原爆がさく裂したその瞬間。湧き上がるきのこ雲を見上げるアングルで描いた。「雲の下には確実に死がある。絶望的な体験をした事実を構図で表現したかった」。被爆者の目線にこだわった。

 ヒロシマの心を内外に訴えるため、1983年に始まった「ヒロシマ・アピールズ」ポスター。過去の19作品にはきのこ雲を直接的に取り上げたポスターはなかった。被爆者の目線で向き合い、デザインを考えた。

 実は、原画は少し違っている。きのこ雲だと分かりやすいよう、かさを丸ごと描いていた。だがもう一歩、爆心に踏み込んだ。「真下にいるような感覚を」と、より接近した構図にして迫力を出した。原爆の熱線と放射線、爆風のエネルギーも精緻な作画に込めた。

 岡山市出身。小学校1年の時、市内の画家夫婦が開く絵画教室に通い始め、この道へと導かれた。代表作に、1998年長野冬季五輪の開・閉会式プログラムや、「瀬戸内国際芸術祭2013」のポスターなどがある。企業広告やロゴのデザインも幅広く手掛ける。

 妻の父親と祖父は広島で被爆した。今回の制作を通じ、原爆の愚かしさをあらためてかみしめる。人類史上初めて核兵器が使用されたという経験を、日本人としてもっと自覚すべきだと考えている。

 自らの記憶にある広島と核のイメージを反すうしながら創り上げた。「ポスターが何かを説明するものではない。見た人なりにイメージを引き出し、ヒロシマへの思いを新たにしてほしい」。東京都杉並区で妻と2人で暮らす。(野田華奈子)

(2017年7月25日朝刊掲載)

年別アーカイブ