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被爆者11人 苦難の半生 「自分史」10年ぶり第4集

 広島、長崎の被爆者11人が自らの半生をつづった「生きる 被爆者の自分史」の第4集が完成した。11人は、本を編集した「原爆被害者相談員の会」(広島市中区)メンバーの後押しを受け、約2年かけて書き上げた。被爆から67年。戦前の平穏な暮らしと、被爆後の生活を丹念に描いた自分史は原爆が奪ったものを切実に訴えかける。(加納亜弥)

「原爆は人間らしく生きることも許してくれない」

 「終わりのない苦しみ、今も続く原爆後遺症。原爆は人間らしく生きることも許してくれない」

 そう記したのは河本謙治さん(85)=周南市。今も体のあちこちに残るケロイドが痛む。就職を機に柳井市から広島に移って5年後、爆心地から約1・5キロの横川駅付近で被爆した。18歳だった。

 無理を押して2年後に復職したが、傷の痛みや体のだるさですぐに退職を余儀なくされた。その後も職を転々とした。長生きはできないと、同居した女性と籍は入れなかったことも明かした。

 「過去を思い出すのがみじめで、書くのをやめたい時もあった」と河本さん。それでも相談員の励ましや、体験を証言した子どもたちからの感謝の言葉に背を押されて書ききった。「支えてくれた人に恩返ししたい。核兵器への怒りを伝える使命を感じた」

 編集委員を務めたのは相談員の18人。メンバーで介護支援専門員の三宅文枝さん(58)=西区=は「原爆に翻弄(ほんろう)されながら困難な時代を乗り越え、強く生きてきた被爆者に勇気をもらった」と話す。

 第1集は1995年に刊行。第4集は第3集から10年ぶりの発刊となる。当初の執筆者は12人だったが、1人は執筆開始後に亡くなり、書き上げた11人のうち3人が本の完成を待たずに死去した。

 A5判、325ページ。千部を作り、広島県内外の大学や広島市内の図書館、原爆資料館(中区)などに贈った。相談員の会の三村正弘代表Tel090(7375)1211。

(2012年9月3日朝刊掲載)

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