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大和の試射場に慰霊碑 主砲テスト 倉橋の「亀ケ首」 住民団体 事故死の工員悼む

 戦艦大和の主砲の性能テストもされた呉市倉橋町の旧呉海軍工廠(こうしょう)亀ケ首試射場跡に、住民グループが慰霊碑を建立した。25日は慰霊祭を営み、暴発事故などで亡くなった工員たちを悼み、歴史を後世に語り継ぐ決意を新たにした。(見田崇志)

 「くらはし観光ボランティアガイドの会」が、これまであった木製の供養塔のかわりに慰霊碑を据えた。石柱で高さ1・5メートル。慰霊祭では約20人が碑に菊の花をささげた。

 試射場跡は倉橋島の東端に位置する。機密を守りやすく、周囲に障害物がない点から選ばれたとみられる。れんが造りの事務所や計測器を設置していたコンクリート製のドームなどが残る。

 大和ミュージアム(呉市)によると、1902年に着工されたとみられる。海軍が関係書類を処分した可能性が高く、施設の詳しい実態は不明だ。倉橋町史には1908~17年、火災や暴発事故で工員たち計7人が亡くなった記録がある。

 大和の主砲は、戦艦としては世界最大級とされる口径46センチ。性能テストでは、発射の衝撃で、約1・5キロ北西の集落で障子紙が吹き飛んだとのエピソードが残っている。

 試射場跡について大和ミュージアムの道岡尚生学芸員は「終戦直後には米軍も調査に訪れた。海軍史を知る上で重要な拠点だ」と話す。現地の草刈りや見学希望者の案内をしてきた同会の柳井敏弘会長は「子どもが平和を考えるためにも、ここで何があったか学ぶ必要がある。これからも整備を続ける」と話している。

(2017年7月26日朝刊掲載)

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