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広島発 ゲバラのはがき 妻宛て ハバナで保管

 キューバ革命の英雄エルネスト・チェ・ゲバラが、1959年7月25日に訪れた被爆地広島から妻へ宛てたはがきが現存していた。「平和のために断固闘うにはこの地を訪れるべきだと思う」。首都ハバナのチェ・ゲバラ研究センターが保管している。「広島・キューバ展」を広島市中区の被爆建物、旧日本銀行広島支店で9月に開く実行委員会が、ゲバラ訪問を調べる過程で確認した。(西本雅実)

 妻アレイダに宛て、広島発の消印が残るはがきの文面は、こう記されていた。  「いとしい人。今日は広島、原爆に遭った都市から送ります。カタファルコ(墓、原爆慰霊碑を指す)には7万8千人の名前が刻まれています。死者は合計18万人と推定されています。平和のために断固闘うにはこの地を訪れるべきだと思う。抱擁を。チェ」

 ゲバラは59年1月に革命を成した盟友カストロ首相の特使として6月、東欧やアジア、アフリカへの歴訪に出発。日本には7月15日に着いた。後に首相となる池田勇人通商産業相らと会談。名古屋や大阪を経て25日、随行のフェルナンデス大尉や駐日キューバ大使との3人で広島を訪れた。

 一行の行動をあらためて調べると、原爆慰霊碑に献花をして原爆資料館を見学し、広島県の大原博夫知事と面会。その後、現広島赤十字・原爆病院(中区)も訪れていた。「アメリカにこんなひどい目に遭っても怒らないのか」。ゲバラは、英語通訳に当たった県外事課職員に聞いた。

 南米で20年間暮らした元新聞記者で、実行委事務局長の堀江剛史さん(42)=南区=は「ゲバラは自らが発案して広島を訪れた。彼の訪問を機に、キューバをはじめラテン・アメリカ諸国でヒロシマへの関心が広がっていった」とみる。

 後に国家評議会議長になったカストロは2003年の訪日の機会に広島を訪れ、「このような野蛮な行為を決して犯すことがないように」と原爆資料館で記帳した。

 はがきの画像をハバナから入手したのは、秋に公開の映画「エルネスト」(阪本順治監督)を配給するキノフィルムズ。ゲバラとボリビア革命を戦った実在の日系2世を描く。

 ゲバラが広島を含む歴訪の旅で撮った写真は8月に東京で公開される。広島では「チェ・ゲバラの視線を通して」の副題を付けて9月16日から旧日銀で展示。広島から渡ったキューバ移民の足跡なども紹介する。

エルネスト・チェ・ゲバラ
 1928年アルゼンチン生まれ。医師となり55年にメキシコで亡命中のカストロと出会い、59年にキューバ革命政権を樹立。国立銀行総裁などを務めたが、南米ボリビアでゲリラ戦を率いた67年に死去した。チェは愛称。

(2017年7月30日朝刊掲載)

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