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[核なき世界への鍵 次代の力] 祖父のそばで見た苦悩 二重被爆 「3世」リアルに代弁

 「まるできのこ雲に追い掛けられているみたいだ」。広島と長崎で原爆に遭った二重被爆者で、2010年に93歳で亡くなった山口彊(つとむ)さんをモデルにした紙芝居の一節である。

 7月半ば、長崎市中心部の長崎大キャンパス。山口さんの孫の原田小鈴さん(42)=同市=が、平和講座を受ける学生約100人に紙芝居を披露した。一場面ずつ確かめるように進め、祖父の言葉で締めくくった。「絶対に3度目の被爆があってはならない。核兵器をなくすために力を貸してください」

 72年前の8月6日。三菱重工業長崎造船所の設計技師だった山口さんは、広島造船所に出張中だった。出勤途上に爆心地から約3キロの広島市江波(現中区)で被爆。やけどを負い、左耳の聴力を失った。翌7日に救援列車に乗り、自宅がある長崎市へ。到着翌日の9日、勤務先で広島の惨状を報告していた時だった。爆心地から約3キロ。人類史上2度目の惨禍に襲われた。

証言活動継ぐ

 戦後、体験を人前で語らなかった。反核運動に意欲を見せても、家族が止めた。各国が軍拡を競った時代。「見た目が元気だったから原爆を3、4回落としても大丈夫と思われるのではと考えた」。山口さんの長女で、原田さんの母の山崎年子さん(69)=長崎市=は当時の葛藤を振り返る。

 転機は05年。被爆時に生後6カ月だった次男をがんのため59歳で亡くした。「誰もこんな目に遭ってはいけない」。90歳を前に証言活動を始め、家族も支えると決めた。胃がんを患い、点滴を打ちながら小中学校を回った。渡米し、国連本部での催しでもスピーチした。

 孫の原田さんは証言活動に付き添い、その姿を間近で見てきた。若者への講話では「私の命をバトンタッチしたい」と継承を願う思いを聞いた。亡くなった翌11年、長崎大の依頼をきっかけに、祖父の体験を語るように。被爆者が作った紙芝居を贈られ、読み聞かせを開始。14年度に長崎市が始めた、被爆者の子や孫が「あの日」の記憶を語り継ぐ「家族証言者」にも登録した。

広島で紙芝居

 「被爆3世の話は重みがないと言われることがある。だけど近くにいたからこそ苦しみや葛藤をリアルに代弁できる」。わが子に先立たれた無念さから、やせ細っていく体をおして証言した―。家族だから分かる苦悩や必死さを語る。

 長崎市は昨年度から、血縁関係を問わない「交流証言者」の募集も始めた。広島市が養成する「被爆体験伝承者」に似た取り組みだ。長崎市の家族証言者は現在17人。身内に思いを託したくても託せない被爆者もいる中、語り手の裾野を広げる狙いがある。

 原田さんは1日、広島市西区民文化センターである「被爆3世」をテーマにしたイベントに招かれ、紙芝居を上演する。祖父の体験の原点でもある広島での披露は初めてだ。「祖父の願いを引き継ぐため、二つの被爆地の若い世代が手を取り合うきっかけをつくりたい」。二重被爆者の孫ならではの役割を探る。(長久豪佑)

(2017年8月1日朝刊掲載)

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