×

社説・コラム

『潮流』 いつ、どこで、何が

■経済部長 吉原圭介

 1945年8月6日午前8時15分。米国が原爆を、広島の市民の頭の上に投下した歴史的な日時だ。1945年が昭和20年でも構わないが、これを正確に覚えているかどうか、定期的に尋ねることは、平和教育の一環として大事なことだと思う。

 ただ、これが原爆がさく裂した瞬間なのか、それとも米軍B29爆撃機エノラ・ゲイ号が投下した時なのか。そう聞かれたら、戸惑う人が多いのではないだろうか。

 原爆資料館には8時15分で止まった時計が展示されているが、電波時計などないあの時代に、今ほど正確に時を刻んでいたとも考えにくい。実際、資料館に寄贈された800個以上の時計の針はまちまちだという。

 原爆投下の目標は、現在の平和記念公園北側の相生橋だった。多くの人がそのことを知っている。半面、エノラ・ゲイ号がどの地点の上空から原爆を投下したのか、考えてみたことのある人は少ないのではないだろうか。

 投下から爆発までは43秒だったとされる。高速で飛ぶ飛行機である。爆弾は放物線を描いてはるか先に落ちる。慣性の法則だ。

 これまでの「常識」を疑ってみる。あるいは一歩踏み出して考えてみるのも立派な平和学習だろう。

 10年近く前、中学校教諭と高専教授に投下地点について聞いてみた。放物線をたどっても、真っすぐ下に向かっても落ちる時間は同じ。自由落下の法則だ。日米の文献を基に目標に向かう方角や飛行速度などを計算。投下地点は「広島県府中町上空」または「JR矢賀駅(広島市東区)の南南西100メートル周辺」という、お二人それぞれの推測を記事で紹介したことがある。

 被爆72年のその日時が近づいている。その時間、広島市や周辺にいる人は、五感を研ぎ澄ませて空を見上げてみるのもいいかもしれない。

(2017年8月3日朝刊掲載)

年別アーカイブ