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広島城の軍司令部跡 防空作戦室に未知の部屋? 電線用か 溝を確認

 国史跡の広島城(広島市中区)にあり、原爆投下直後に「広島壊滅」の第一報を伝えた中国軍管区司令部跡の防空作戦室の周りに未知の部屋が埋もれている可能性が出てきた。調査した広島工業大工学部の大東延幸准教授(54)=土木工学=が近く、詳細調査を求める要望書を市に提出する。(桑島美帆)

 爆心地から790メートルの防空作戦室は5月に86歳で死去した岡ヨシエさんが被爆当時、比治山高女(現比治山女子中・高)から動員されていたことで知られる。半地下構造の平面に四つの部屋が残っていて約200平方メートル。外部に露出する排気口がどの部屋ともつながっていない点から別の部屋があるとの見方があった。

 3月に管理する市が老朽化対策で三つの部屋の床板を張り替えた際、大東准教授の研究室に調査を依頼。現存する各部屋の南側や被爆当時に岡さんがいた指揮連絡室に電気ケーブルが通った痕跡とみられる幅約40センチの溝が見つかった。

 当時を知る人たちの証言によれば作戦室の内部には「敵機情報」を赤ランプで表示する地図板などが設置されていた。今回、発見された電線跡がそれらの装置を結んだものとすれば発電のための燃料や蓄電池などが別の部屋にあり、終戦後に封鎖されたとも考えられる。「爆撃に備え、さらに地下にあったのでは。体系的に調査する必要がある」と大東准教授は話す。

 被爆と軍都の歴史を語る遺構である作戦室は空襲への警報・警戒警報を出すため1944年末~45年初めごろに建設された。機密性の高い施設のため資料に乏しく、被爆後の経緯を含めて不明な点が多い。

 市は平和学習の場として公開してきたが、コンクリートの劣化を踏まえて4月下旬から見学を規制している。来年度以降に耐震化工事に着手する計画で、文化庁と協議しながら新たな部屋について確認を進める構えだ。市緑政課は「安全確保をした上で詳しい調査を検討したい」と説明している。

(2017年8月3日朝刊掲載)

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