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連載・特集

いしぶみに刻む <1> 精霊之碑(岩国市車町) 基地周辺空襲 死者悼む

 甚大な犠牲を出した太平洋戦争の終結から72年。空襲や原爆、戦地へと赴いた家族の死…。それぞれの悲しみや後悔、「悲劇を二度と繰り返さない」との決意は、県内でも各地の石碑やモニュメントに刻まれている。

 旧日本海軍の航空基地だった岩国市の米海兵隊岩国基地にほど近い法寿寺(同市車町)に、「精霊之碑」と刻まれた石碑がひっそりと立つ。終戦直前の1945年8月9日、基地周辺を襲った米軍の空襲被害を語り継ぐ。

 碑は51年、地元の川下青年同盟が、空襲で亡くなった旧日本海軍将兵を悼むために建立。松岡信昭住職(74)によると、もともと現在の車町3丁目付近にあった掩体壕(えんたいごう)の上に建てられたが、その後、同寺に移されたという。

 掩体壕は空襲の直撃を受け、中にいた将兵らが死亡したとされる。同市史によると、この日の空襲では死者46人、負傷者67人。碑の裏面には「海軍大尉津田健一外百五勇士(中略)戦死」とある。「岩国駅周辺被爆記録」には「240人死者があったと思う」との証言も残る。

 当時を知る原田万里さん(85)=同町=は、「地面に大きな穴が開き、あちこちの家の瓦が飛んでいた」と空襲被害を振り返る。

 最初に石碑が建てられた地区の車第3自治会は、空襲の日に合わせて盆踊りや慰霊祭を催してきたが、高齢化などから終戦70年の2015年を最後に取りやめた。

 建立時、青年同盟に入っていた吉田武夫さん(88)=中津町=は「戦時中を知る人も減ってしまった。関心が薄くなるのは寂しい」と感じている。(馬上稔子)

(2017年8月3日朝刊掲載)

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