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社説・コラム

『潮流』 被爆体験はなくても

■論説委員 森田裕美

 広島市内の喫茶店で中学生が談笑している。1人が言い放つ。「日本だって原爆を持っていいじゃないか」。居合わせた詩人は耳を疑う。

 1965年のことだ。詩人はヒロシマをテーマに現代詩の創作を続ける東区の松尾静明さん(77)。原点にもなったエピソードを先頃聞かせてもらった。「被爆体験の風化」が危ぶまれ「継承が課題」と叫ばれて随分になるが、松尾さんは半世紀以上前から同じ悩みを抱えていたのだと知り、気が重くなった。

 中学生の発言にいてもたってもいられなかった松尾さんはその年、詩を指導していた市内の中学校に協力を得て、生徒370人に意識調査した。すると、10%超が核兵器の保有を肯定したという。

 三原市大和町で生まれた松尾さんは被爆を体験していない。それでも10代から広島で暮らし、爪痕に触れてきた。「原爆を持っていい」と考えたことはない。

 「体験がないから否定しないのではなく原爆が想像力の外にあることが問題」。詩人として、言葉で読み手の感性に挑んできた。その思いがにじむ近作を受け取った。

 六つの原爆詩からなる「組曲『ヒロシマ』」。幼子を奪われた親、水を求める少女を振り切って逃げた人、髪を失った女性…。松尾さんが聞き取った一人一人の記憶の断片が連なり、臨場感あふれる群像劇となって響く。きのこ雲の下の悲劇が立体的に伝わってくるようだ。

 心を打たれた音楽家がいま曲をつけている。川崎市の児童合唱団が来年公演する予定だ。言葉が音に乗り、さらに多くの人の想像力を刺激すると期待したい。

 あす被爆から72年。歳月にあらがえなくても、記憶の風化には対峙(たいじ)できるのではないか。いま触れられる証言や表現をわが言葉にし、壮大な「組曲」を紡いでいくことで。

(2017年8月5日朝刊掲載)

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