×

社説・コラム

天風録 『30万通りの「あの朝」』

 広島市の平和記念式典は今年も、原爆死没者名簿の安置から始まった。その数、30万8725人に上る。それだけの数の「人殺し」を1発の原爆がなしたと考えれば、その甚大さが知れる▲一人一人の被爆体験にこそ実相はあるのだろう。広島市長と並んで県知事も、あいさつ文に被爆者の手記から引いていた。やけどで50日間眠れなかった女性は、原爆と耳にするだけで「熱い鉄板を押し当てられたような、あの瞬間が甦(よみがえ)ってくる」と▲広島の原爆死没者を追悼する国立の祈念館でこの夏、1万1375人分の被爆体験記が新たに公開された。手記は、後世に託す数々の証言に満ち、自筆の紙碑とさえ思わせる▲死の床の女性から「ピカドンに娘がさらわれた。探してください」と頼まれた記憶。黒焦げの路面電車に座ったまま白骨同然となった遺体2柱を見た…。一字一字、紙に刻み付けたような手書きの文字には心打たれる▲本人が寝たきりや認知症で家族の代筆も見える。それはそれで、継承になったに違いない。まだ語れぬ人、語らない人もいるだろう。「72年前のあの朝」「あの悲惨な体験」と同じ戦後生まれが軽々しく語れば「どの?」と問うてみたくなる。

(2017年8月7日朝刊掲載)

年別アーカイブ