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社説・コラム

『潮流』 肌身で感じる戦争

■呉支社編集部長 岡田浩一

 暗闇から流れ出る冷気に当たり、汗がすっと引いていく。かびのかすかな臭気が鼻をつく。

 海上自衛隊呉基地(呉市)に残る旧呉鎮守府の地下壕(ごう)を見学した。「地下作戦室」とも呼ばれる。7月29日、戦後初めて一般に公開された。

 約3200人が炎天下に列を作り、最大で40分待ちだった。外気より10度近く低い冷気に驚いた見学者も多くいただろう。そして、敵機に何度も襲われるなど旧軍港がたどった過酷な歩みを文字通り肌身で感じ取ったはずだ。

 地下壕の主要部分は、かまぼこ形で幅14メートル、奥行き15メートル。天井の最も高い部分までは6メートルある。崖の斜面をくりぬき、国道の短いトンネルにイメージが近い。

 72年前の7月、呉を焼け野原にした米軍の激しい空襲の中、呉鎮守府はこの地下壕で指揮を執った。

 調査を始めた呉高専の重松尚久准教授(土木施工学)は「工法、コンクリートの材質どれも当時の最高水準の技術だ」と説明する。地下壕からはアリの巣のように地下通路も延びている。教え子と進める調査で全容を解明してほしい。

 地下壕の見学を終え、再び熱波の中へ出た時、96年の夏をふと思い出した。長崎県佐世保市近郊で原爆劇の創作に取り組む高校の演劇部を取材した。生徒は脚本づくりのため、真夏の長崎市内に残る被爆の痕跡をひたすら歩き訪ねる。

 神社の境内にある被爆クスノキ。手をつないで幹を抱く間も汗が額を伝う。道中に飲む水は格別だ。

 顧問の教諭は当時、この野外活動を毎年欠かさなかった。「人々は逃げ惑い、被爆で負った傷はうんだ。こんな暑い中、つらい戦争を続けていた。それを体感することで、半世紀前のあの日が現実味を帯びる」

 暑さ寒さ、臭い、音…。追体験できる現場の保存が今後は一層必要になる。

(2017年8月8日朝刊掲載)

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