社説・コラム

『言』 ナガサキの声発信 核なき世界へ 後進支える

「高校生平和大使の会」共同代表 嶋田千佐子さん

 国連欧州本部などに核兵器廃絶の声を届ける高校生平和大使。長崎で生まれた草の根の派遣活動は今年20回目を迎え、歴代大使たちの「高校生平和大使の会」も発足した。国連で核兵器禁止条約が採択され、核なき世界へ期待が高まる一方、安全保障を巡る国際情勢は厳しい。会の共同代表に就いた嶋田千佐子さん(34)=長崎市=に活動の展望を聞いた。(論説委員・森田裕美、写真も)

  ―高校生平和大使の派遣は、1998年にインドとパキスタンが相次いで核実験をしたのがきっかけでしたね。
 世界に訴える活動が難しくなりつつあった被爆者に代わり、次代を担う高校生が核兵器廃絶の署名を届けようと始まりました。以来毎年続いています。

  ―元大使の会をつくったのはなぜですか。
 大使の任期は1年で毎年代わるため、歴代大使の経験をつなぐ難しさがありました。受け皿になる会がほしいと以前から思っていたんです。ちょうど20年の節目でもあり、経験者として現役世代と交流して、活動をサポートし、盛り上げる役割が果たせたらと考えました。先月は早速、高校生と一緒に街頭で署名を集め、悩みを聞いたりもしました。

  ―大使の経験者は延べ200人にも上るそうですね。全員がメンバーなのですか。
 高校卒業後は進学や就職などそれぞれの進路があって、みんながその後も活動を続けられるわけではありません。会には、まず今も長崎にいる十数人が集まりました。会社員、学校の先生、子育て中の主婦…とさまざまですが、それぞれができる範囲で続けられたらなと思っています。東京や他県にいる元大使も多いので、これからさらに輪を広げることができれば。

  ―嶋田さんが大使を務めたのは2001年でした。
 新聞の小さな募集記事を父が見つけたのがきっかけです。先に国連を訪れた大使の帰国報告会に参加し、熱い思いや手応えを聞きました。若者は社会に無関心だと思われがちですが、報告会には平和のために行動したい仲間が集まっていました。「署名を届ける以外にも高校生主体で何かできないか」と話し合い、自分たちの手で署名から集めました。翌年高校3年の時に私は大使に選ばれ、分厚い署名簿を持って出発しました。

  ―高校生だからこそできることもあったのでしょうか。
 国際舞台は緊張しましたが、若いからこそまっすぐに挑めたし、受け入れられる面はあったと思います。国連軍縮本部に行くと、エンリケ・ロマン・モレー軍縮局長はとても忙しそうなのに時間を取ってしっかり耳を傾けてくれました。高校生が被爆者の願いを受け継ぎ行動していることに「感銘を受けた」と言われ、署名の保管も約束してくれました。肩の荷が下りたのを覚えています。

  ―核超大国米国にトランプ政権が誕生し、北朝鮮は挑発を繰り返しています。核なき世界は遠のいているように見えます。
 核を巡る世界情勢は厳しく、目が離せません。大学では国際法を学びましたが、国際的枠組みが守られない現状に危機感を覚えます。戦後72年たって被爆者の声を届ける困難さも増しています。私は普段は会社員ですが、一市民として関心を持ち続けています。ナガサキの使命は世界に核兵器廃絶の必要性を理解してもらうこと。地道な発信を続けるしかありません。

  ―まさに活動の合言葉「微力だけど無力じゃない」ですね。
 継続こそ力だと実感しています。大使の活動も当初は「高校生に何ができるんだ」と批判されました。でも20年の積み重ねで活動は広がり、認知され、署名に協力的な人も増えました。私が国連に行った16年前はいつかこんな場所でスピーチできたら…と夢のように考えていました。続けることで国連でも信頼を得て、今はそれも実現しています。議場前には私たちが届けた署名も展示されています。

  ―後進をどう支えますか。
 核をなくすのは簡単ではないけれど、被爆地の声は少しずつでも確実に伝わっていると実感しています。活動する側が信じないと前には進めない。くじけない強さを伝えたいです。

しまだ・ちさこ
 長崎市生まれ。九州大卒。高校2年の時に核兵器廃絶を目指す「高校生1万人署名」に立ち上げメンバーとして参加。01年、第4代の高校生平和大使として、スイス・ジュネーブの国連欧州本部へ署名を届けた。長崎市内で会社勤めをしながら高校生の活動を支える。同市在住。

(2017年8月9日朝刊掲載)
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