社説・コラム

『論』 49人の「戦争」随筆集 なくならずとも、しない

■論説委員 石丸賢

 「8月ジャーナリズム」と、あたかも年中行事のように言われだしたのはいつ頃だったか。原爆や戦争を巡る新聞記事やテレビ番組は、「終戦の日」あたりまでに集中することが多い。

 大人にはマンネリズムの平和報道に映ったとしても、子どもらは新鮮に受け止めるかもしれない。忘れてはならぬ歴史を地道に伝え継いできたことが、戦後72年間続いた不戦の一助になったとすれば、むしろ誇らしくもある。

 問題は、そうした姿勢が普段の報道にも貫かれているかどうかということだろう。

 せめてもの心掛けに、ことしは夏以降も50ページほどの小冊子を通勤かばんに入れておくことにした。月刊誌「短歌」(角川文化振興財団)の8月号に輪ゴムでとじ込まれていた、別冊の付録「なぜ戦争はなくならないのか」である。

 直球勝負のテーマに引かれた。「緊急寄稿」と銘打ち、歌人だけでなく、俳人の金子兜太さんやゴリラ研究で知られる山極寿一京都大総長、沖縄県出身のモデルで俳優の知花(ちばな)くららさんなど多士済々の49人が回答を寄せている。

 今昔の和歌を取り上げ、戦争との相性の良さに触れた一文があれば、もはや戦争防止は人間の手に負えないとして人工知能(AI)に託せないかという人もいる。視点も奥行きもさまざまな論考は、戦争について思い巡らす時に座標軸を与えてくれる。

 「戦争は男たちの起こすものです」という、1927年生まれの歌人尾崎左永子さんの一刀両断には半ばうなずくものの、いたたまれない。36年生まれの歌人池田澄子さんも、先の戦争で片棒を担いだ女性に触れつつ、「人間を生む女は戦争をしようとはしない筈(はず)だ」としている。男がいる限り、戦争はなくなりはしないと2人は言いたいのだろう。

 同世代の女性陣の論調を知ってか知らでか、30年生まれの作家半藤一利さんは、フランスの作家サンテグジュペリの身もふたもない言葉を取り上げている。論説集「人生に意味を」の一節である。

 <(略)われわれは戦争をなくすことはできないであろう。すでに数千年来、母親たちの涙については語られてきた。だが、そのような言葉が息子たちの死を阻止することはできなかったことを認めなければならない>

 この世には「戦争は人間の本能」といった俗説まである。米国のオバマ前大統領も残念ながら、そんな見方を採っていた。

 しかし、たとえ「戦争はなくならない」ものだとしても、次を「食い止める」あるいは「しない」ことを積み重ねていくことはできる。そのために何が必要か、何ができるのか。戦争について学び、考えておく必要があろう。

 先ごろ改造された内閣では、戦後生まれが20人中18人を占める。やはり「戦争を知らない子供たち」と歌われた世代である安倍晋三首相は、そっちが駄目ならこっちと改憲の言を左右にし、いたずらに国民を振り回す。

 思い立って、広島市の平和記念公園にある国立広島原爆死没者追悼平和祈念館に通っている。約13万編に及ぶという被爆者の手記に目を通すためである。

 きっかけは例の付録にある知花さんの回答だった。「集団自決」の生き残りである祖父の体験と言葉が、戦争を考える原点らしい。

 沖縄戦について語りたがらなかった祖父が一度だけ、口を開いた時のこと。知花さんと連れ立った道端で、指が切れそうなくらいに鋭く細長い葉っぱを摘み、こう言ったという。「引っ張ってごらん。切れないでしょ。みんな、これで首を絞め合ったんだよ」

 「国のため」「愛するもののため」「正義の戦い」といった美しげな言葉に自分を結び付ければ、からめ捕られてしまう。それは、先の戦争の教訓である。

 どんな状況になっても譲らない、反戦ないし不戦の一線を自らの内側に築けるかどうか。たどたどしくても、うそのない言葉が、てこでも動かぬ「重し」や「いかり」となるのだろう。それを探しに、もう少し被爆体験記をめくってみようと思っている。

(2017年8月10日朝刊掲載)
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