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被爆者の中本さんが広島駅前に平和空間構想

■記者 藤村潤平

 25年前、被爆者の女性が「広島駅前の緑化を」と広島市に寄付した2000万円が一時放置され、今も使われず残っている。7年前に市の幹部が謝罪し、両者が協力を約束。女性が寄付金を建設資金の一部に充てて平和を願う空間をつくる構想を練り、市が来年度にも具体的な調査を始めることになった。

 女性は、東京都港区のインテリアデザイナー中本博子さん(78)。山中高等女学校時代に爆心1.2キロの千田町の校舎近くで被爆した。広島女学院専門学校を卒業後、渡米して美術を学んだ。

 中本さんは今月1日に市を訪れ、緑に囲まれ、平和の塔を備えた具体案となる「ヒロシマ・ゲートウエイ・トゥ・ワールド・ピース」(仮称)を初めて提示した。「米国の人脈を頼りに活動してきたが、地元からも盛り上げて」と訴えた。

 建設資金集めのため、中本さんはウェブサイトを開設し、広く協力を呼び掛けている。賛同者リストには、聖路加国際病院の日野原重明理事長をはじめ、デザイナーの三宅一生氏やバレリーナの森下洋子さんたち広島市出身やゆかりの著名人が名前を連ねる。

 中本さんが寄付をしたのは1983年までさかのぼる。66年に東京で事務所を構えた中本さんは、帰省のたびに古里の松原町(南区)の景観が気になっていた。駅前再開発の遅れを心配し「緑があふれる広島の『玄関口』にして」と、2000万円を市に贈った。

 ところが、市は「再開発のめどがたたず、事業の整合性が不明」と着手を見送り、時間だけが流れた。中本さんは「何らかの形で駅前の周辺整備に使ってほしい」と何度も文書で求めたが、回答はなかったという。

 市の記録をさかのぼっても、95年に市が事情説明した以外は中本さんと接触した形跡はない。関係が修復したのは2001年。当時の市緑化推進部長から、中本さんにこれまでの対応や非礼をわびる手紙が届いた。

 その後、両者が協議を重ね、今春に福屋広島駅前店南側の河岸緑地(約1600平方メートル)に平和を願うゾーンをつくることで合意。今回、初めて一緒に現地を視察した。

 市公園整備課は「立地場所が決まった段階で規模や内容、事業費などは未定。中本さんの案をたたき台にし、計画を進めたい。思いを形にできるよう努めたい」と説明する。

 中本さんのサイトは、http://hiroshimagatewaytoworldpeace.org/New_Site/

(2008年12月19日朝刊掲載)

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