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「親奪った戦争はごめん」 追悼式 中国地方の381人参列

 終戦の日の15日、東京の日本武道館であった全国戦没者追悼式に中国地方から遺族381人が参列し、犠牲者をしのんだ。ミサイル発射計画で北朝鮮情勢が緊迫する中、世界の平和を祈った。

 広島県代表の住吉和敏さん(78)=東広島市=は、旧陸軍に召集された父真二さんを亡くした。乗っていた船がフィリピン沖で撃沈され、遺骨も戻っていない。「私たち4人の子どもを残し、父は心残りだったろう。犠牲となった人たちが今の平和を見守ってくれていることを忘れずにいたい」と花を手向けた。

 山口県代表の森重淑子さん(76)=柳井市=の父清さんは、フィリピンの戦闘で命を落とした。「幼かった私に父の思い出は少ない。親を奪うような戦争ほど哀れなことはない」。戦後72年を経て平和への思いを新たにした。

 「絶対に戦争は嫌。私たちのような犠牲者を二度と出さないで」と話すのは、岡山県代表の児島美代子さん(84)=玉野市。フィリピン沖で戦死した父富谷寛さんの記憶をたどり「学校の参観日に来てくれたのを覚えている。もう一度、手を握ってほしい」としのんだ。

 島根県代表の足立誠宏さん(82)=奥出雲町=は、中国で飛行場建設に携わっていた父儀蔵さんを失った。輸送機を撃墜されて帰らぬ人に。戦後、和裁で家計を支えた亡き母も苦労を強いられた。「犠牲者はあんな惨めな戦争を二度とやってくれるなと願っているはずだ。その思いに応えたい」

 鳥取県代表の小椋昭一さん(83)=三朝町=は1938年3月、父知蔵さんを日中戦争で亡くした。45年2月、兄繁雄さんもフィリピンで戦死。「家族の中で男は私だけになり、子どもながらに家を支えなければ、と思ってきた。元気なうちに参列できて良かった」と祈りをささげた。

 原爆死没者遺族代表の山縣親正さん(76)=広島市南区=は、被爆10年ほど後にがんを発症して66年に他界した父正雄さんを悼んだ。自らも4歳で原爆に遭った。北朝鮮が米領グアム沖への弾道ミサイル発射を計画し、緊迫した情勢が続く現状を憂う。「市民を大量殺りくする核兵器は二度とごめんだ。戦争だけは避けないといけない」と訴えた。(田中美千子、武内宏介)

(2017年8月16日朝刊掲載)

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