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連載・特集

『生きて』 医師・広島大名誉教授 鎌田七男さん(1937年~) <6> 染色体分析

被爆診療で異常を発見

  広島大原爆放射能医学研究所が発足した翌1962年に原医研助手となり、診療・研究に取り組む
 入局した「臨床第一研究部門」の初代教授は朝長正允さん(1916~71年)です。助教授(准教授)と講師各1人、先輩の助手2人、技能員の女性たちがいた。赤れんがの旧陸軍兵器補給廠(しょう)を改築整備した部屋が医局でした。

 朝長先生は前任地の長崎大で、旧長崎医科大の先輩でもあった永井隆博士(51年死去)をみとられた血液内科学の専門家です。61年に「長崎被爆者における白血病発症」をスイスの世界保健機関(WHO)で報告し、英米も回ります。原爆被爆者の白血病は一般の白血病とは違うのか、と聞かれたそうです。

 ヒトの染色体数が46本と証明されたのは56年。そして慢性骨髄性白血病の細胞に「フィラデルフィア染色体」と名づけられた異常が60年に米国で見つかった。染色体研究が不可欠だと考えられた先生は、7ページの指示メモと参考論文を僕に示された。

 広島大付属病院で始まった「被爆内科」で午前中は外来を、夕刻までは入院患者25人を助手の4人で受け持つから、末梢(まっしょう)血や骨髄からの染色体を調べるとなると深夜になります。分析方法を確立するため、マウスの骨髄で動物実験を繰り返しました。同期の岡田浩佑(後に広島大医学部教授)と英語の文献を未明まで読むうち、医局の机や、時には教授室のソファで寝るのも珍しくなかったですね。

 そんな日々の中で、Eさんという当時50代の農家の女性を診察します。爆心地から約1・6キロで被爆し、白血球増加を指摘されて外来通院していた。彼女の骨髄から分裂像を得て染色体の分析ができたのは62年9月です。「慢性骨髄性白血病の早期発症例」を11月、広島・長崎の医師たちでつくる第4回「原爆後障害研究会」で岡田が発表します。

 被爆者にも一般の患者と同じように「フィラデルフィア染色体」が存在すると明らかにする、初の症例報告となりました。とはいえ、なぜ健康な被爆者には染色体異常はみられないのか。謎でした。「原医研内科」(67年に改称)に通院する被爆者を診療して雑談も続ける中、被爆距離の違いに気付くわけです。

(2017年8月2日朝刊掲載)

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