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連載・特集

『生きて』 医師・広島大名誉教授 鎌田七男さん(1937年~) <8> 爆心地500メートル㊤

「奇跡」の78人 追跡調査

  爆心地から半径500メートル以内の被爆生存者について、広島大原爆放射能医学研究所が1972年に始めた「原医研プロジェクト」を担う
 原爆による一人一人の身体・精神的な影響のみならず、生活状況も詳しく調査し、被爆の実像に迫る。「原医研プロジェクト」は広島の地だからできた、しなければならなかった総合医学的研究だといえます。

 そもそもは68年の「爆心地図復元作業」に始まります。所長の志水清さんが率いる「疫学・社会医学研究部門」が、NHK中国本部(現広島放送局)と共同で取り組んだ。

 平和記念公園となった中島地区ゆかりの人たちに呼び掛け、当時の個別地図を書いてもらうことから各世帯の被爆状況を掘り起こします。助手だった湯崎稔さん(後に広島大総合科学部教授、84年に53歳で死去)が聞き取りに努め、確認の上で「被爆関係基礎調査・世帯票」を作成する。そうして対象を爆心地から500メートルへ広げていったわけです。

 奇跡的に助かった78人の存在が分かった。所長を引き継いだ岡本直正さん(遺伝学)から「健康調査に当たってほしい」と求められました。所属した「臨床第一研究部門」は広島大付属病院に「原医研内科」を持つ。講師になっていました。

 まず、78人(うち広島県外在住は28人)に入院を依頼し、応じた47人を精密検査しました。末梢(まっしょう)血リンパ球や骨髄細胞の染色体分析を行い、健常な被爆者にも染色体異常があることを突き止めた。異常率から放射線量の推定を始めます。定期検診や、全員に年1回のアンケートを続け、10年間で13人の死亡も確認します。報告を「原爆後障害研究会」で重ね、82年に県医師会の「広島医学賞」をプロジェクト・チーム(11人)の代表として受けました。

 原医研「血液学研究部門」の教授に就いたのは85年です。退職後も診察や相談にあずかり、第29報「被爆後70年までの追跡調査結果」を2016年の後障害研究会で、湯崎さんに敬意を表して連名で報告しました。66人が亡くなられていた。受け継ぎ、積み上げてきた資料はデジタル化もして現在の原爆放射線医科学研究所に今春託しました。「爆心地から生きる」と題して医学部医学資料館(広島市南区)で4日から展示されます。

(2017年8月4日朝刊掲載)

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