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連載・特集

『生きて』 医師・広島大名誉教授 鎌田七男さん(1937年~) <9> 爆心地500メートル㊦

悲惨と強さに向き合う

 大線量放射線にさらされた人は被爆者以外にはめったにいない。あってはならないことです。1972年から今日まで取り組む、爆心地から半径500メートル以内の被爆生存者の追跡調査は、放射線被曝(ひばく)の影響を明らかにする僕の研究の原点となった。

 交流も重ねるなかで数々の謎にぶつかり、研究を続けてきた。被爆者に導かれていったといえます。

 奇跡的な生存者78人は、22人が爆心地から約380メートルの日銀広島支店、18人が330メートルの富国館と、大半が鉄筋ビル内で被爆して助かった。路面電車内も6人いました。

 末梢(まっしょう)血リンパ球や骨髄細胞の染色体異常率から被曝線量の生物学的な推定を試み、81年に報告します。それまでの推定方式「T65D」(米国がネバダ州の核実験場に日本家屋を建てて計測し、65年に公表した暫定値)は物理学的なものでしかなかった。しかし、人間が実際に浴びたわけですから。

 78人でいえば52人の線量推定が可能であり、4シーベルト以上は8人です。放射線を浴びたら半数が死亡する半致死線量の4シーベルトは、「鎌田が報告した」と国連科学委員会が90年代後半に認めました。さらに、めったに見ることのない髄膜腫や、一人で二つ、三つ目と重複がんを患う人の多発も明らかにした。

 「被爆後70年までの追跡調査結果」でいえば、死亡者66人のうち主な死因はがんが30人です。生存者を含めて35人が患い、うち7人が重複がんになっていた。身体の破壊にとどまりません。親きょうだいがいない孤児となる、妻子を失って老いる、未婚のまま乳がん死する、子どもを授かれなかったなど、家族崩壊や家族形成障害を経験していた。精神・心理的調査(CMI)を継続すると、老齢化とともに神経症などへの移行が見られました。

 原爆は人間の心身を深く傷つける。広島大を退いて広島原爆被爆者援護事業団理事長を務めた16年間、自費や休みを充てて追跡したのは、研究に応じてくれた人たちに対する医師の務め。昨年4月には、居森清子さんの臨終にも駆け付けました。彼女は、爆心地から約410メートルの本川国民学校児童で唯一助かった。髄膜腫などに襲われながら、横浜市で82歳まで生き抜いた。被爆者の強さも教えられました。

(2017年8月5日朝刊掲載)

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