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連載・特集

『生きて』 医師・広島大名誉教授 鎌田七男さん(1937年~) <15> 継承

広島だからこその務め

  広島原爆被爆者援護事業団理事長を退いた4月からは、妻や次男家族と住む広島市西区から単身赴任して三原市内の本郷中央病院に勤める
 健診センター長として地域の各事業所で働く人の診察や、現場を巡視して安全衛生委員会にも出ています。認定産業医や健康スポーツ医などの資格も持っていますから。

 僕の健康維持でいえば、自炊の今は朝がそばに卵、すりごま、シイタケを入れ、海藻のりをたっぷり食べます。晩は野菜サラダが主で缶ビール1本に日本酒1合と決めています。休みの日は広島市内のジムで筋トレを続けています。4年前にはホノルルマラソンで10キロを完走。広島の大会では5キロを41分と、年をとっても短縮しました。

 爆心地500メートル圏内の生存者78人は今、9人です。袋町(中区)の旧広島富国館で被爆した女性(87)の娘さんから先日も相談の電話がありました。こちらの都合で勝手に区切りは付けられません。いったん診た以上はお供するのが僕の流儀。総合的医学調査はこれからも続けます。

 広島大医学部生への放射線災害講義では、被爆者医療の先人の取り組みも取り上げています。白血病発症を指摘した山脇卓壮さん、ケロイドに苦しむ女性たちの渡米治療も率いた原田東岷さん、がん多発に気付いた於保源作さん、原爆放射線白内障を追った杉本茂憲さん…。生前の先生方を訪ねて、詳しく話を聞きましたから。爆心地復元に当たった社会学者の湯崎稔さんもそうです。確証を挙げて被爆の実態を追究するという姿勢が共通しています。

 「広島の地だからできること しなければならないこと」。考え、実践することを市の「被爆体験伝承者」の研修でも呼び掛けています。

 核兵器の非人道性を体験した人たちが、まさに身近にいる。先人たちの資料もある。暮らしの中から平和への声を上げる。若い人はネットで外国にも友人をつくり広島を伝える。個人でもできることはあります。広島の医師として体が動く限り行動したいと思っています。=おわり(この連載は特別編集委員・西本雅実が担当しました)

(2017年8月15日朝刊掲載)

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