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連載・特集

[Peaceあすへのバトン] 映画監督 石田優子さん

被爆樹木の「声」伝える

 広島の被爆樹木をテーマにしたドキュメンタリー映画を作っています。今年中の完成を目指しています。

 広島市内に約160本が登録されていますが一口に被爆樹木といっても、表情はさまざま。夏は葉が茂っても冬に葉が枯れると原爆で受けた傷痕が見える木もあります。木は人と違って被爆体験を語れません。自分が代わりに木のメッセージを伝えようと思っています。

 一番思い入れがあるのは、南区の山陽文徳殿に立つソメイヨシノです。爆心地から約1・8キロ離れた、比治山のふもとで命を保っています。出合ったのは2013年夏。今にも倒れそうな姿に驚きました。大きく傾いた幹は大部分が腐り、2~3割しか生きていないそうです。葉も少なく「頑張って生きて」と願いました。木をいとおしく感じたのは初めてでした。

 再び訪れた翌年の春、少ないながらも花を咲かせていました。「生きてくれてありがとう」と一言。広島に来たら毎回会いに行き、衰えても生きながらえる姿を見ると、ほっとします。

 広島を初めて訪れたのは大学3年の時。友人に誘われ、鈍行列車を乗り継ぐ旅で向かいました。原爆資料館や原爆ドームを見学し、被爆アオギリの下で車いすの沼田鈴子さんから証言を聞きました。しかし衝撃があまりに強くて、人の身に実際に起きたこととは実感できません。まだ自分が未熟だったと思います。

 大学卒業後、映像制作会社に就職。被爆体験を記録する映像の制作を担当することになり、転機が訪れました。漫画家の中沢啓治さんとの出会いです。証言の映画化も進めることになり、2年間取材。初監督を務めました。

 中沢さんは大いなる表現者であり、不安だった自分を「思いっきりやってみろ」と励ましてくれましたが、作品が完成した翌年の2012年に亡くなりました。前年の沼田さんの訃報と相次ぎ、考えました。次は自分が主体になって残さないと―。何度も広島に通う中で興味を持った被爆樹木を通じ、ヒロシマに向き合うことを決めました。

 樹木医の堀口力さん(72)と巡りました。木にまつわる人々の思いや研究者の成果、戦後緑を取り戻そうと奮闘した人たちの姿を一つのストーリーのようにつなげ、先に児童書「広島の木に会いにいく」を出版しました。木を入り口に子どもたちが街を歩き、原爆の傷を感じてくれたらと望んでいます。

 映画は言葉でなく映像で伝えられる点が長所です。作品を通じ、声なき木の訴えを海外にも広めたいと考えています。(文・山本祐司、写真・福井宏史)

いしだ・ゆうこ
 東京都出身。慶応大卒業後、映像制作会社に就職。2011年、中沢啓治さんの被爆証言を記録した「はだしのゲンが見たヒロシマ」を初監督。13年から被爆樹木を取材し、15年にフリー。同年「広島の木に会いにいく」を偕成社から出版。杉並区在住。

(2017年8月21日朝刊掲載)

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