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社説・コラム

『想』 増本光雄 執念実った橋

 JR広島駅南の猿猴橋。タカが羽ばたく親柱、架空の動物「猿猴」2匹が桃を抱える透かし彫りなどが施されていた欄干…。大正末期、1926年の完成時の豪華絢爛(けんらん)な姿が昨年3月、復元された。その意匠は43年の金属回収令で取り払われ、長らく簡素な橋となっていた。

 地元住民が完成時の華麗な姿を復元しようという活動を始めた。たゆまぬ活動によって、どうにか親柱のモニュメントの製作までこぎ着けた。その活動は橋を管理する広島市を動かし、被爆70年の記念事業として当時の意匠は見事に復元された。

 南々社から4月下旬に出版した単行本「山を動かす」は、私たちが活動を始めて復元が完成するまでの約8年半を、克明に書き記した作品である。

 復元された橋は、さまざまな人々の称賛を受けて、観光名所の一つとしてもよみがえった。珍しい様式は、多くの人々に今後も感銘を与え続け、100年先まで渡り続けられることになるだろう。

 ただ、その復元には多くの先人が取り組みながらもあえなく挫折してきた。しかし、執念はついに実った。そんな歴史も、かみしめて渡ってほしい。この本には、そうした願いが込められている。

 「知行合一(ちこうごういつ)」という言葉がある。かつて社会的思想が朱子学から陽明学に移行していく時代があった。平和の時代から動乱の時代への過渡期である。幕末の思想家、吉田松陰もこの言葉を好んだとされる。志士たちに影響を与え、明治維新につながったといえる。

 猿猴橋の復元運動は、まさにこの知行合一を実践していった。会議でいかに議論を重ねようとも、行動が伴わなければ、何一つ生まれないのだ。

 行動は「やるか」「やらないか」の二者択一である。復元運動に携わったメンバーは、それぞれが多忙な身だったが、議題に上がったことはすぐに実行に移してきた。よみがえった橋を残し、このドキュメンタリー作品の完成で私たちの活動は終焉(しゅうえん)を迎えた。(マスヤカメラ店主)

(2017年9月14日セレクト掲載)

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