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社説・コラム

『言』 核兵器禁止条約の展望 廃絶こそ国際社会の声だ

◆中央大大学院教授 目加田説子さん

 核兵器の使用や威嚇などを違法とする核兵器禁止条約の発効に向け、賛同国の署名が20日始まる。ただ保有国は条約に全く参加しておらず、実効性を疑問視する声もある。先例となった対人地雷とクラスター(集束)弾の禁止条約の制定経緯に詳しい中央大大学院教授の目加田説子さん(55)に、この条約の展望や課題を聞いた。(論説副主幹・宮崎智三、写真・田中慎二)

  ―条約が署名の段階まできました。どう見ていますか。
 日本では、北朝鮮の脅威が迫り「核には核で対抗するしかない」との意見が出るなど、過小評価されていると思います。

 しかし大局的には、画期的なことです。72年間、広島と長崎の人々や世界の多くの科学者、国際法の専門家、医師たちが強く求めてきたことが、ようやく条約という形で結実しました。しかも122カ国、国連加盟国の3分の2が核兵器は要らないという意思を明確にしました。この事実は重いです。

  ―対人地雷やクラスター弾と同様、非人道的な兵器だという訴えに賛同が広がりました。
 二つの禁止条約の成功例が多くの点で参考になりました。人道主義を前面に出し、赤十字国際委員会(ICRC)などの国際機関や、人道主義を国際的に定着させたい国々、現場で活動している非政府組織(NGO)の3者が核兵器の禁止を目指して協力し、一つの大きな力になって国際社会を動かしました。

  ―保有国の顔色を気にせず、廃絶に前向きな国々が議論を始めたことで、停滞していた核軍縮が進んだのですね。
 クラスター弾禁止を呼び掛けて熱心に条約作りを進めたノルウェーや、メキシコ、オーストリアなどが2013、14年に、核兵器の非人道性に焦点を当てた会議を開き、賛同する国やNGOの結束が高まりました。全会一致を原則とし、核軍縮推進で限界の見えていた核拡散防止条約(NPT)の枠組みを超えて国際世論を盛り上げました。

 背景には、人道主義が最近20年間、国際社会で根付いていたことがあり、核兵器を含む三つの禁止条約が実現できました。

  ―ただ、条約には米国など保有国が加わっていません。
 対人地雷でも大国不在なら有効性はないとの議論が起きました。そんな側面も確かにありますが、規範の力は大事です。対人地雷で言えば162カ国が加盟し、未加盟は少ない。国際法で禁止された以上、条約に入っていないから「私たちは関係ない」では済まない。核兵器も同じで、条約に入っているかどうかだけでは評価できません。

  ―私たち市民に、何かできることがありますか。
 対人地雷やクラスター弾では被害者はなぜ手足を失ったのか原因をただすことで問題解決の糸口を見いだしてきました。

 さらに踏み込んで自分が加担していないか、私たちも問う必要があります。クラスター弾では、製造会社に投融資している金融機関のリストがほぼ毎年、報告書にまとめられます。

  ―それが生かせますか。
 例えば、米国の製造会社には日本の複数のメガバンクも投融資しています。自分が預けたお金が巡り巡って兵器造りに使われ、シリアなどで罪のない子どもを傷つけているかもしれない。自分のお金がどう使われているかに関心を持ってほしい。

 核兵器はもっと膨大な企業が関与していますが、同じ手法が応用できるかもしれない。市民にもできることはあります。

  ―核兵器禁止条約の今後をどう考えますか。
 10年、20年かけて育てていかないといけません。地雷は核兵器に比べ、ささやかな兵器ですが、条約採択から30年ほどかけて全ての問題解決に取り組んでいます。核兵器廃絶も5年や10年では実現できないでしょう。たとえ半世紀かかっても諦めずにやらなければいけません。

  ―禁止の流れが、逆戻りすることはありませんか。
 対人地雷は冷戦後の楽観主義の中で禁止されました。ところが01年の米中枢同時テロで一気に後退しました。それでも底流には人道主義、国家でなく人間が大事だという考え方が受け継がれていました。国際情勢がどんなに悪化し、後退があっても逆戻りはしないと思います。

めかた・もとこ
 静岡県富士市生まれ。上智大卒業後、米ジョージタウン大大学院、コロンビア大大学院を経て、大阪大大学院国際公共政策研究科博士課程修了。04年から現職。専門は国際公共政策、NPO・NGO論。97年から「地雷廃絶日本キャンペーン」理事。著書に「行動する市民が世界を変えた クラスター爆弾禁止運動とグローバルNGOパワー」など。

(2017年9月20日朝刊掲載)

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