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社説・コラム

社説 原発避難者千葉判決 国免責は納得できない

 巨大津波がいずれ来る危険性は予見できていたのに、何の対策も東京電力に命じなかった。それでも国に責任はない―。そんな納得し難い判決が千葉地裁で出された。

 福島第1原発事故で千葉県に避難した45人が国と東電に損害賠償を求めた訴訟である。千葉地裁は、事故前の生活を破壊された「ふるさと喪失」の慰謝料など請求の一部約3億7600万円の支払いを東電に命じた。しかし国が津波対応を求めなかったことは「違法とはいえない」と責任を認めなかった。

 すっきりしないのは、全国20地裁・支部で30件近く起こされている同様の訴訟で、初めて判決を出した前橋地裁とは結論が正反対だったからだ。前橋地裁は、対策を怠った東電はもちろん、国の責任も認めている。

 両地裁とも、国は約10メートルの原発の敷地の高さを超す津波は予見でき、対策を東電に命じる権限があったことは認めている。その上で前橋地裁は、国の対応は違法と判断した。対策を命じなかった点を重く見たようだ。

 ではなぜ、千葉地裁は違法だとは判断しなかったのか。理由を判決で述べている。仮に対策を講じたとしても、間に合わないか、事故を回避できなかった可能性もある、としている。事故を起こした責任をはっきりさせた前橋地裁の判断に比べ、分かりにくく説得力にも乏しい。

 何より、原発の特徴を踏まえた判断だとは思えない。いったん事故が起きれば、広範囲に、しかも長期間、重大な影響を及ぼす。そんな危険な核物質を大量に扱うのが原発だ。

 判決では、資金や人材は有限で、想定できるリスク全てに資源を費やすことは現実には不可能だとまで言っている。安全を最優先せず、資金や人材といったコスト面を重視しても許容されるとでも言うのだろうか。

 核物質に対する危機意識の乏しさが、巨大津波を予見したのに対策を取らず、国内の原子力事故では史上最悪の事故を起こしてしまったのではないか。

 事業者にも監督責任のある政府にも、核を扱う責任や能力がなかった。判決が浮かび上がらせたのは、むしろその点かもしれない。事故から教訓を得ないなら、再稼働が進むにつれ国民の不安は膨らむ一方だろう。

 今回の判決が、原告の主張する「ふるさと喪失」慰謝料を精神的損害の賠償対象だと初めて明確に示した点は高く評価したい。当然である。確かに、判決が指摘するように避難生活を強いられたことに対する慰謝料では補塡(ほてん)し切れないだろう。

 額が少ないとの不満も原告にはあるようだ。それでも避難者にとっては前進には違いない。

 千葉地裁は、「ふるさと喪失」慰謝料は、避難指示区域外などからの自主避難者には認めなかった。ただ、事故時に住んでいた場所や放射線量、年齢、家族構成などを総合的に考え、避難が合理的と認められれば賠償を受けられるとした。個々のケースに応じて最終的に判断する姿勢は、避難者救済を進める上で今後も基本とすべきだろう。

 事故から6年半、今なお5万人以上がふるさとを離れて暮らしている。避難者救済のため何が必要なのか。どうすれば事故の再発を防げるか。司法や国、事業者だけでなく、私たちも考え、行動する必要がある。

(2017年9月25日朝刊掲載)

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