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連載・特集

[Peaceあすへのバトン] ひろしま国際センター研修担当 森谷香純さん

難民の不安に向き合う

 ラオスで日本語講師をしていた24歳の時、このまま一生続けられるか悩みました。もっと人間として幅を広げたい―。別の世界に飛び込んでみようと国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊に応募したのは、その前の年に半年間実習したタイで、ある「理不尽さ」を感じたことがきっかけでした。

 タイの孤児院で週1回、子どもに「遊び」の一つとして日本語を教えるボランティアをしていました。彼らは母親が売春をして生まれた子や、親に捨てられたり、貧しくて預けられたりした子でした。日本のガイドブックにも「夜の街」が紹介されていると聞き、恥ずかしくなりました。

 国が発展しているかどうかにかかわらず、こんな人道的な問題はない方がいい。自分なりに何かできないか考え、協力隊へ参加を決めました。

 活動先はヨルダン。希望していました。以前、内戦の続く隣国シリアで苦しみながら亡くなる子どもや、泣き叫ぶ大人たちを映したテレビを見て、ずっと気になっていたからです。緑に囲まれた大きな家で家族と暮らす当たり前の生活が突然途切れ、人々は母国を離れヨルダンの難民キャンプへ逃れていました。

 自分がキャンプに向かった時は内戦開始からすでに4年がたち、混乱は落ち着いていましたが、人々はいつまで続くか分からない避難生活に疲れと不安を抱いてました。自分は子どもを支援する非政府組織(NGO)に配属され、キャンプの子どもたちと絵を描いたり運動会を開いたりして、楽しんでもらいました。

 被爆直後から現在までの広島の写真を見せたこともあります。街が復興に向かう様子は希望につながると思ったからです。千羽鶴も一緒に折りました。「鶴は平和の象徴」と他の子に話す子もいて、ヒロシマの願いが伝わったのかなと実感できました。

 昨年9月、1年間の活動を終えて帰国しました。母校の広島なぎさ中・高では、シリアやイスラム教を身近に感じてもらおうと後輩に現地での活動を話しました。日本にいてもできることはあります。

 東広島市のひろしま国際センターには今年1月、就職しました。インドネシアや台湾などから来日した日本語講師に、留学制度を説明したり、就職の決まった留学生に会ってもらったり。広島への留学生が増えるよう働きかけています。この夏はJICAからの依頼を受け、紛争国の政府関係者が被爆地で平和を学ぶ研修を手伝い、国造りに生かしてもらうよう努めました。

 当たり前が壊される理不尽さは、今も世界に残っています。いろんな角度から物事を見る視点を持ち、互いに思いやりを持てる社会が実現できればと思っています。(文・山本祐司、写真・福井宏史)

もりたに・かすみ
 大竹市出身。ラオスで日本語講師を始め、24歳でJICAの青年海外協力隊に応募。15年9月から1年間、ヨルダンの難民キャンプで活動。今年1月からひろしま国際センター研修課プログラム・オフィサー。東広島市在住。

(2017年10月2日朝刊掲載)

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