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社説・コラム

天風録 『ヒロシマに歳はないんよ』

 瓦の表面が溶けてぽつぽつと泡立っている。強烈な熱線で煮え立ったのだろう。人間はどんなに熱かったか―。広島市の原爆資料館で初めて目にした幼い頃、想像して震えたのを思い出す▲「瓦に言葉があるなら語り掛けてもらいたい」。焼かれた姿のまま川底に眠る被爆瓦を拾い上げては若い世代にあの日の実情を話し、「瓦おばさん」と呼ばれた人がいた。佐伯敏子さん。97歳での悲報をきのう聞いた▲引き取り手のいない遺骨が眠る原爆供養塔の清掃を体が動かなくなるまで40年以上続けた。被爆後24年たって実現した義母の遺骨との再会も大きかったのではないか。閃光(せんこう)を浴び、名前はおろか性別も分からなくなった死者の無念を伝える使命を自らに課した▲爆心直下の惨状が頭から離れなかったようだ。市郊外の姉夫婦宅に長男といて一命は取り留めたものの、すぐに実家のある市中心部へ。肉親13人が命を奪われ、自らも後障害に苦しんだ▲「ヒロシマに歳(とし)はないんよ」。口癖のように語っていた言葉である。歳月とともに生々しさが消え、昔話になるのを何より恐れていた。整然とよみがえった広島の足元には今も、無数の無念が眠っていることを忘れまい。

(2017年10月5日朝刊掲載)

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