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連載・特集

無言館20年 <下> 特別展から

一心に絵筆 生きた証し 家族・故郷への愛あふれる

 開館20年を迎えた長野県上田市の戦没画学生慰霊美術館「無言館」。今、力を入れている活動の一つが、各地への巡回展だ。遺作を所蔵する画学生たちの出身地は全国に広がるだけに、上田市まで来館するのは難しい人にも見てもらえる機会を増やしたいという。

 呉市立美術館で開かれている特別展「無言館 遺(のこ)された絵画展」は、節目の年に企画された巡回展で、北海道立釧路芸術館(釧路市)に続いて開かれた。一心に絵筆を執った若者の生きた証しが並ぶ。

 呉会場では、竹原市出身の手島守之輔(1914~45年)に焦点を当てた小特集が目を引く。手島は東京美術学校(美校、現東京芸術大)で学び、新制作派協会展で入選を重ねた。郷里に戻って図画教師をしていた45年夏に召集され、広島で被爆死した。

 故郷の農村や海辺を描いた穏やかな風景画からは、時代への悲壮感よりも、変わらぬ郷土愛が伝わってくる。自画像のほか、美校で共に南薫造に学んだ荻太郎による手島の肖像画、妹や妻に宛てた手紙なども紹介している。

 周南市の原田新(1919~43年)は、妹の姿や農村風景などを描いた4点。青地に赤い花柄の着物姿でいすに座る「妹・千枝子の像」は、画布に刻み込んだ深い愛情が感じられる。クラシック音楽が趣味で、「自分が死んだらお経の代わりにレコードをかけてくれ」と家族に言い残したという。中国を経て、ソロモン諸島近海で戦死した。

 徳山中(現徳山高)時代から原田と親しかった山口県平生町の久保克彦(1918~44年)。美校を繰り上げ卒業後、中国で戦死した。原田の妹が保管していたという水彩の「自画像」は、くわえたばこでニヒルな表情を見せている。

 呉市立美術館の渡辺千尋学芸員は「画家としての道を戦争で断たれた〝無名〟の人たちだが、家族や故郷を愛した彼らの絵は、身近な存在の大切さに気付かせてくれる」と話す。

 数は少ないが、彫刻作品もある。ブロンズの「天女の像」は、美校の工芸科で学んだ出雲市の小柏(おがしわ)太郎(1919~45年)の作。戦地に赴く日、「行きたくない。生き残って鋳金の作品をつくりたい」と家族につぶやいたという。光市の小隊に配属となり、フィリピンで戦死した。

 中国地方ゆかりの人物ではこのほか、笠岡市出身の日本画家小野竹喬の長男、春男(1917~43年)が描いた自画像とナスのびょうぶ絵も。完成度は抜きんでている。京都市立絵画専門学校(現京都市立芸術大)を卒業後、市美展に出品するなどしたが召集され、中国で狙撃され亡くなった。

 呉での展示について、無言館館主の窪島誠一郎さん(75)は「空襲を経験し、原爆被災も身近だった呉には、戦争の歴史が深く刻まれていると思う。作品に向き合って、もう一度その歴史を考えてほしい」と願う。「新たに遺族や作品につながる情報があれば寄せてほしい」とも呼び掛けた。

 志半ばに散った彼らは、生き続けていたらどんな作品を生み出しただろうか。今の時代をどう見ているだろうか。「遺された絵画」に向き合いながら、そんな想像にも引き込まれる展覧会だ。中国新聞社などの主催で11月19日まで。火曜休館。(鈴木大介)

(2017年10月14日朝刊掲載)

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