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連載・特集

もてなしの島 朝鮮通信使「世界の記憶」登録 <上>

 呉市下蒲刈島の松濤(しょうとう)園が所蔵する朝鮮通信使の関連資料などが、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」(世界記憶遺産)に登録された。もてなしの記憶と継承への課題を探る。(今井裕希)

友好の証し

雁木や料理 最上の準備

 14段の石段が海中に延びる。呉市下蒲刈島の三之瀬御本陣芸術文化館前の福島雁木(がんぎ)。幅は55・5メートル。江戸期広島藩主福島正則が築いたとされる。朝鮮通信使一行は、この雁木を使って上陸した。

館に続く石段

 一行が投宿した館までの間「100歩程度」は、赤いじゅうたんが敷かれたという。旧下蒲刈町の文化財保護委員長を務めた柴村敬次郎さん(82)は「港の機能が整っていたことが、寄港地として選ばれた理由として大きい」とみる。島内には、通信使の最高責任者だった正使が泊まった館へ続く石段も当時の姿を保つ。

 友好の証しは伝統料理にも見つけることができる。安芸灘諸島には、当時ふるまった「三汁十五菜」を再現する店がいくつかある。タイの丸焼きやアワビのしょうゆ煮…。広島藩は他藩の接待の状況を探り、最上の準備を進めた。松濤園の小川英史学芸員(34)は「肉料理を好む通信使のために小屋を作り鳥や豚を飼育していた」と明かす。

御馳走伝統に

 そのかいがあり、記録では通信使に同行した対馬藩主は「安芸蒲刈御馳走(ごちそう)一番」とたたえた。伝統を守る店の一つ呉市豊町大長の「ゆたか海の駅とびしま館」を経営する菅原美保さん(65)は「料理の一部をランチや弁当に取り入れ、もてなしの心を広めたい」と話す。

 島では旧下蒲刈町時代から通信使の歴史を掘り起こしてきた。松濤園を運営する蘭島文化振興財団の柴村隆博事務局長は「通信使や島について発信する好機。さまざまな情報発信の仕方を模索していく」。

(2017年11月2日朝刊掲載)

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