社説・コラム

緑地帯 チャップリンと核 森弘太 <2>

 東西冷戦下の1952年、喜劇「殺人狂時代」が「容共的だ」と糾弾されて米国を追放されたチャップリンが、英国で製作・脚本・監督・主演・音楽を担ったのが「ニューヨークの王様」である。57年、英国で公開されたが、米国では上映を拒否された。

 欧州の小国のシャドフ王(チャップリン)は、核の平和利用を唱えたことから「原爆派」の暴動で王位を追われ、米国へ逃れる。王を迎えたニューヨークは、派手な音楽や扇情的な映画に熱狂する人たちの喧噪(けんそう)に満ちていた。王は、核の平和利用計画を原子力委員会へ売り込み、回答を待つが、ひょんなことからテレビCMの売れっ子タレントになる。

 王はある日、学校新聞の編集をしているという少年に出会う。10歳にしてマルクスを読む才気あふれる少年に論争を挑まれ、たじたじとなる王をチャップリンは諧謔(かいぎゃく)を込めて描く。

 後日、王と再会した少年は一転、うちひしがれてつぶやく。両親が非米活動委員会の糾問、いわゆる「赤狩り」で投獄された、と。同情した王はホテルに少年をかくまうが、マスコミはそのことを騒ぎ立て、王が提案した核の平和利用計画もスパイ行為と疑われる。そして、非米活動委員会に召喚された王は、委員たちにホースで大水を浴びせるのだった。

 私はチャップリン喜劇のクライマックスに爆笑、喝采しながら、彼がなぜこの作品を製作したのかに思いを巡らせていた。ヒロシマを扱った「河 あの裏切りが重く」(67年)などを撮ってきた私には必然の問いだった。(映画監督=尾道市)

(2017年11月10日朝刊掲載)
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