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社説・コラム

緑地帯 チャップリンと核 森弘太 <7>

 反核喜劇映画というべき「殺人狂時代」をチャップリンが着想したのは、第2次大戦のさなかである。その製作は、米国の資本と権力が大戦でのドイツとソ連の共倒れを望みながらも、戦後のソ連との対立を視野に核兵器開発に猛進するのと同時進行だった。

 チャップリンの非暴力主義が、「独裁者」(1940年)で見せたナチズム批判から、反原子爆弾に進むのは当然であったろう。だがまさにその時、ハリウッドはチャップリンを裏切った。チャップリン研究者のサドゥールによれば、47年の「殺人狂時代」の公開後まもなく、チャップリンは次のような非難文を公表している。

 「今度という今度は、ハリウッドとその住民に宣戦布告しようと考えました。口汚い連中が、わたしをコミュニストだとか反米主義者だとののしり始めました。ハリウッドはもはや、芸術としての映画と何の関係もありません」

 ハリウッドでは何が起きていたのか。ウォルト・ディズニーやゲーリー・クーパーら著名人が軒並み「反共宣言」し、進歩派の俳優やスタッフを密告し始めたのだ。非米活動委員会に呼び出されながら証言を拒否した10人は、議会侮辱罪で有罪判決を受けた。

 東西のイデオロギー対立は50年、朝鮮戦争として火を噴く。チャップリンの反核喜劇や進歩派映画人に対する攻撃が、人々を戦争へ引きずり込む戦術でもあったことを思い知らされる。当時のハリウッドでは西部劇や戦意高揚につながる映画が量産され、日本の映画館にもあふれたことは私の記憶にも鮮やかである。(映画監督=尾道市)

(2017年11月17日朝刊掲載)

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