×

社説・コラム

緑地帯 チャップリンと核 森弘太 <8>

 チャップリンの映画を製作年順に再見し、鮮明になったことがある。英国の貧民街で育ち、劇団俳優として米国巡業したことに始まる彼の映画歴が、米国の時代性にリアルに沿っていることだ。

 欧州からの移民が先住民を排撃した地に建設した米国は、ゴールドラッシュ、自動車産業革命、金融資本の君臨、ロシア革命との対決、軍需産業の肥大、核兵器の開発などを経て核超大国に至る。

 チャップリンが映画に起用され始めた時代(第1作は1914年)、自動車などの高額商品をたたき壊したり、威張ったやつの顔にパイを投げつけたりの「破壊喜劇」が喝采を浴びた。要は、成り金を貧者がやり込める図である。

 やがて映画の技術革新は、作品を短編から長編へ導く。ドタバタに代わりストーリーが求められる時代に、チャップリンは喜劇映画で応えた。失業者と弱犬が強盗から大金をせしめる「犬の生活」、前線の悲惨な兵士の様相を描く「担え銃(つつ)」…。笑いの中に社会の矛盾を示唆し、「破壊」を「対立」の喜劇へ深化させたのだ。

 さらにサイレントからサウンド、トーキーへという技術革新に沿って、チャップリン喜劇はテーマやモチーフをいっそう深めていく。その到達が、核産業全体の無残な将来を予言する「ニューヨークの王様」であろう。

 チャップリンは77年、スイスで瞑目(めいもく)する。没後40年がたった今も、映画評論などで彼の反核喜劇の価値が「封印」されたままに見えるのはどうしたことか。リバイバル上映を望んでやまない。(映画監督=尾道市)=おわり

(2017年11月18日朝刊掲載)

年別アーカイブ