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連載・特集

[つなぐ] カトリック司祭 バリカマカル・アレキサンダーさん=インド出身

アルペ神父の思い継ぐ

 広島市安佐南区の住宅街を抜けた丘に立つ、イエズス会長束修道院。被爆時の院長だった故ペドロ・アルペ神父を今も語り継ぐ。あの日、爆風に耐えた和風の聖堂を臨時救護所として開放し、医学の経験を生かして被爆者の治療に献身した神父。今月あった生誕110周年の集いを開いたのが、インド出身の司祭バリカマカル・アレキサンダーさん(60)だ。

 聖堂で開くヨガ教室の講師を務める。「家族や同僚、毎日関わっている人を思い浮かべ、感謝しましょう」。体をほぐす基本のポーズを指導した後、ろうそくをともして瞑想(めいそう)の時間を設ける。参加者は目を閉じ、自分の内面と向き合う営みだ。2015年春、アレキサンダーさんが司祭として着任した直後に始めた。「一人一人の心が穏やかになれば争いはなくなり、平和が訪れる」という信念からだ。

 悲惨な事件も絶えない社会で、人知れず苦しんでいる人に、できるだけ参加してもらおうと、宗教や宗派は問わず門戸を広げる。受講料は献金のみ。インターネット検索や口コミ効果で、廿日市市や竹原市など遠方から訪れる人もいるという。家庭の悩みや悲しみを抱えて来る人もいる。

 アレキサンダーさんは、インド南部のケララ州ムッタム市で農業を営む両親の下、10人きょうだいの4男として生まれた。国民の8割をヒンズー教徒が占める国。ただ実家がある地域はイエズス会の宣教師が早くから布教し、カトリック教徒が多いという。

 毎晩、夕食前には家族が集まって祈りをささげ、週末は近所の教会に通った。「敵を愛せよ」。聖書にあるキリストの言葉に共鳴し、18歳で聖職者への道を歩み始めた。

 来日したのは1985年。萩市のカトリック信徒と文通していたことから日本に親しみを感じていた。上智大大学院で神学を専攻し、92年に司祭の資格を得る。以来、下関市や宇部市など、山口県内のカトリック教会に約20年勤めたが、被爆地広島への赴任を長く希望していた。

 国境や宗教、あらゆる壁を越えて人々が交流し、世界平和を目指す。自らの願いを実行に移す、またとない場所だと考えてきたからだ。非暴力や愛の大切さを説いたマザー・テレサやマハトマ・ガンジーの教えにもヒロシマの訴えは通じる、と感じている。

 そして広島にはローマ法王ヨハネ・パウロ2世の足跡もある。戦争は人間のしわざです―。81年に被爆地で発した「平和アピール」の碑がある原爆資料館にも、繰り返し足を運んでいる。

 広島で暮らし始めて2年8カ月。後にイエズス会の総長にもなったアルペ神父の足跡を追いたいという思いは強まるばかりだ。「この場所でたくさんの人々を被爆の苦しみから救い、希望を与えた。その精神に接すれば、周りの人に希望を与える人になれるはず」。これからも被爆神父を紹介する催しを企画していきたいという。(桑島美帆)

(2017年11月27日朝刊掲載)

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