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証言 記憶を受け継ぐ

『記憶を受け継ぐ』 田中祐子さん―抱え逃げた辞書と共に

田中祐子(たなか・さちこ)さん(88)=廿日市市

髪が丸ごと抜けた。いとこの死 今も夢に

 16歳で被爆した田中(旧姓岡本)祐子さん(88)はこの夏、原爆資料館(広島市中区)にぼろぼろになった国語辞書「広辞林」を寄贈(きぞう)しました。広島に原爆が投下された日、家から携(たずさ)えて逃げたものです。戦後もずっと愛用しましたが、保存を考えて資料館に託しました。「焼かれず、一緒(いっしょ)に生きてきた」と自分自身を重ねます。

 安田高等女学校(現安田女子中高)専攻(せんこう)科で学んでいました。あの日は体調が悪く、学徒動員を休み、爆心地から約1・8キロの平野町(現中区)の自宅に。机に向かって勉強中、ピカーッと青白い光を浴びます。意識を取り戻(もど)すと、机の下で辞書を抱(かか)え座(すわ)り込んでいました。

 崩(くず)れた自宅の屋根から首だけ出し「助けて」。辞書とともに引っ張り出してくれた男性はそのまま去りました。洗濯(せんたく)物を干していた母キクヨさんは上半身をやけどし立ちすくんだまま。周囲の家は倒(たお)れ、比治山が目の前に迫ります。ぼうぜんとすると、顔をやけどした上半身裸(はだか)の男性が近づいてきました。「わしじゃ」との声で、朝出勤した父、玉一さんと分かりました。

 家族で近くの広島文理科大(現広島大)のグラウンドへ避難(ひなん)。夕方、燃えずに残った自宅に帰ると叔父(おじ)が訪ねていました。足元には1歳下のいとこの体。「死んどるけえ焼かんにゃいけん」。叔父の一声でいとこを焼く作業を手伝うと、炎(ほのお)の中の体がぶるっと震(ふる)える瞬間(しゅんかん)がありました。「叔父さん、生きとるよ」。しかし「死んどるんじゃ」。そう聞くと妙(みょう)に納得し、翌日に白骨を拾いました。

 両親を治療(ちりょう)してもらおうと、広島赤十字病院(現広島赤十字・原爆病院)に連れて行っても、医師は赤チンを塗るだけ。8月9日ごろ、別のいとこが捜(さが)しに来てくれ、母の実家のある玖島村(現廿日市市)へ、両親を大八車に乗せ一緒に向かいました。

 急性障害で体に紫(むらさき)の斑(はん)点が出た両親は何とか持ち直しましたが、今度は自分の髪(かみ)が1日で丸ごと抜けました。「死にたい」と嘆(なげ)く自分をいとこは励(はげ)まし、風呂敷(ふろしき)で頭を包んでくれました。半年後、再び髪が生え始め「あれほどうれしいことはなかった」と振(ふ)り返ります。

 戦後は大学に進み、小学校教員に就きましたが、縁談(えんだん)となると断られたことも。被爆者である稲城さんとは26歳で結婚しました。長女の妊娠(にんしん)が分かると、産むかどうか夫婦で悩(なや)みましたが無事に出産しました。4年後には長男にも恵まれます。

 ただ犠牲(ぎせい)者に申し訳なく思う気持ちは消えません。いとこを焼いた光景を夢で見て、「ごめんね」とうなされて起きたこともあります。

 1984年に夫が亡くなってからは、趣味(しゅみ)の短歌作りにいそしむ日々です。大切な相棒は父が買ってくれたあの広辞林でした。日米の戦争の始まった41年の発行のもの。戦時中、灯火管制(とうかかんせい)が始まっても布団の中で懐中(かいちゅう)電灯で照らして「読んだ」一冊です。

 辞書を引いては言葉と出合い、歌を書き留めたノートは100冊以上。パーキンソン病で左半身が不自由になっても意欲は衰(おとろ)えません。

 原爆ってたいした事じゃないのかも日本は核兵器作りに反対しないもの ことし7月、核兵器禁止条約が成立しましたが、日本政府が加わらなかったことの悔(くや)しさを、そんな歌にしました。

 「戦争も核兵器も地球上からなくなるのをこの目で見たい。それが達成できないから私は生きている」。募る思いを残すため、新しい辞書を前にノートに向かいます。(山本祐司)

私たち10代の感想

原爆の傷 心の中に残る

 田中さんは長女を産んだ時、無意識に看護師に「耳はあるか、目はあるか、腕(うで)はあるか」と確かめたそうです。それだけ自分の子どもへの原爆の影響(えいきょう)を気にしていたのだと思います。戦争は、多くの人の心の中に傷を残してしまいます。日常のけんかも同じです。僕たち一人一人が身近な所から争いをなくす意識を持つことが、大切だと感じました。(中2植田耕太)

戦争は人を鬼に変える

 被爆した時、田中さんは「人の心をなくした」と振り返ります。混乱の中、大切ないとこの体までも「早く焼こう」と思ったことを、後悔していました。戦時中は、死を名誉だとも考えていました。今では考えにくいことです。戦争は人を「鬼」に変えてしまいます。私たちが人であり続けるため、二度と戦争を起こしてはならないと思いました。(中3斉藤幸歩)

(2017年12月4日朝刊掲載)

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