社説・コラム

『今を読む』 ジャーナリスト 里信邦子 ノーベル平和賞のICAN

志つなぎ禁止条約を実現

 ノーベル平和賞に選ばれた非政府組織(NGO)「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN(アイキャン))のジュネーブにあるオフィスを11月に訪れた。女性数人が狭い部屋で仕事をしている。交渉・広報担当のホグスタさんによれば、スタッフは4人。この人数で「奇跡的な」核兵器禁止条約の成立に貢献したのか…。

 壁には原爆投下直後を思わせる人々を描いたポスター。その前でパソコンのキーボードを激しく打っているのが事務局長のフィンさんだった。渦巻く熱気は、国際法を学んだ若者たちが核兵器を廃絶させようと、何かに突き動かされているからだと直感した。

 取材の狙いは、条約が採択され、その役割と戦略が高く評価されたICANの活動を詳しく知ることだった。「小国も1票を持つ」国連の仕組みの中で、どう小国をまとめたのか。被爆者の活動に対する評価も聞きたかった。

 2000年に核拡散防止条約(NPT)再検討会議を取材した時は、先進国と途上国をつないで核軍縮を求める国々「新アジェンダ連合」のブラジル、メキシコなどの外交官の熱意に圧倒された。

 ただ核軍縮は進展しなかった。今回の条約採択で、こうした国々の動きやICANとの関係にも関心があった。

 ICANは、対人地雷禁止条約を推進したNGO連合体をモデルに101カ国468団体を統合し、コーディネートする。核兵器廃絶を支持してくれそうな小国のジュネーブにいる外交官たちに現状を説明して、政府に動いてもらうよう説得した。

 外交官には決定権がない核兵器保有国などに対しては、その国のNGOに動いてもらった。指導はせず、情報提供と運動推進を促すだけだ。

 後者の国でNGOはどう動くのか。デモも批判も役に立たないのでは。そう尋ねるとホグスタさんは運動の多様化を挙げた。例えば、ある団体は核兵器の部品製造や新型化に資金を提供する銀行を調べて結果を公表する。情報公開は核廃絶には直接結び付かない。だが核兵器の存在に「汚名を着せる」ことはできる。

 環境汚染問題に焦点を絞ったり、国会議員に働きかけたりする団体もある。こうして市民の意識は変わっていく。

 2010年に起きた、人道的観点から核兵器廃絶が必要だとする議論は、13、14年に開かれた三つの国際会議でさらに煮詰まった。特に3回目のウィーン会議の時の核兵器禁止の宣誓が、15年に開かれた次のNPT再検討会議に持ち込まれ、ことし7月、禁止条約の採択につながった。

 ICANは、これらの会議で100を超すNGOの参加を支援し、新アジェンダ連合で活躍したブラジルなどの国とも連携した。こうした有志国の反核の伝統はずっと生きていたのだった。

 今後の戦略として、ICANは「条約の調印・批准の促進」と「核の傘の下の国を説得」を目指す。50カ国・地域の批准が条件である条約の発効を来年末と設定し、今からが勝負と意気込んでいる。

 なぜここまで打ち込めるのか。フィンさんは言う。「ルール、法、規範といった点で、一般市民を無差別に大量に殺害する核兵器は全く許されない。その非正当性に憤りを感じたからだ」

 加えてホグスタさんは、広島の被爆者でカナダに住むサーロー節子さんの力強いスピーチが活動の源だという。

 ノーベル平和賞の授賞式でサーローさんと一緒に賞を受け、日本被団協からも代表者を招待するフィンさんにとって、核廃絶を目指して戦ってきた全ての人々、特に被爆者の受賞でもある。被爆者こそ核兵器が何であるかを知る「エキスパート」だから、体験を伝え続けてほしいと言葉に力が入る。

 長年戦ってきた被爆者や支援者、20年以上挑戦を続ける有志国やNGO、人道支援機関を「正義」のエネルギーでつなぎ統合したことがICANの本当の「戦略」だった。

 国際社会は大きく動いた。多少の揺り戻しはあるにしても、核廃絶への流れは、もう後戻りすることはない。取材を終えて、そう思った。

 52年下関市生まれ。神戸大大学院、パリ・ソルボンヌ大大学院を経て、スイスの公共メディア「スイスインフォ」で核軍縮問題や美術関連など多くの分野を取材してきた。今年からフリー。父は呉市、母は三原市出身。スイス・ジュネーブ在住。

(2017年12月5日朝刊掲載)
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