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社説・コラム

『潮流』 銃後の女と私たち

■論説委員 森田裕美

 一日千秋の思ひで待って居ります―。戦地から帰らぬ息子に宛て母親が舞鶴引揚援護局に出し続けた書簡を京都府の舞鶴引揚記念館で見た。歌謡曲「岸壁の母」のモデルとされる端野いせさんの筆。わが子を待つ親の心中はいかばかりだったか。当時の日本にはきっとたくさんの「いせさん」がいたに違いない。

 同時に「いせさん」たちは戦中をどう過ごしていたのか知りたくなった。女たちの現在(いま)を問う会発行の「銃後史ノート」に学ぶ機会を得たからである。広島の被爆者でもある女性史研究家加納実紀代さんと仲間が1977年から20年間、世に送り出し続けたミニコミ誌だ。

 加納さんたちは、単に戦争の被害者としてではなく、戦場に赴く男性を支えた「銃後の女」の検証を試みた。資料に当たり、当事者の聞き取りを続け、戦意高揚を手助けした姿などを浮かび上がらせた。

 「銃後史ノート」が伝える出来事は「現在」とも重なる。例えば、38年に国家総動員法が公布されると女性には「人的資源」を増産する役割が求められた。そのために「優良多子家庭表彰」が設けられたという。

 先日与党議員が、子どもを4人以上産んだ女性を表彰しては、と提案したのを思い出した。

 それまで家に閉じ込められていた妻や母たちにとって国家の戦争を支える国防婦人会の活動が、「女性解放」だったとの指摘にもドキリとした。国が成長戦略の柱として掲げる「女性活躍」が頭をよぎる。

 時代が違う、と言ってのけるのは簡単だ。だが「戦争は最初から<戦争>の顔をしてはやってこない」と加納さんは言う。「平等」やら「解放」やら「生きがい」やらで人々の心をくすぐって、じわじわと忍び込んでくるらしい。だから折々にチェックしたい。私たちは「銃後の女」になってやしないかと。

(2017年12月9日朝刊掲載)

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