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社説・コラム

『論』 原発事故と地元紙 「記録残す」 使命を胸に

■論説委員 下久保聖司

 出張先では必ず地元紙に目を通す。今月上旬、福島民報の「第3社会面」を広げると虫眼鏡が要るような小さな数字が並んでいた。

 福島市飯野支所0・10、飯舘村役場0・26…。県内約700カ所の環境放射線量を、2011年3月に東京電力福島第1原発事故が起きてから欠かさず載せている。

 海底土壌のモニタリングや、大豆、キノコなど地元農産物の検査データも。原発事故は終わっていない、多くの県民が「非日常」の生活を強いられている―。それを改めて思い知らされるページだ。

 一方で国や電力会社は老朽原発の「寿命」延長や再稼働に突き進む。事故当初はおくびにも出さなかった「原発回帰」だが、最近は開き直ったかのように大胆だ。

 この風潮を福島民報の記者たちはどう捉え、どんな問題意識を持っているのか。話を聞くと新しい気付きがあり、共感も覚えた。

 例えば今春の大幅な避難指示解除の捉え方だ。浪江町など原発周辺自治体で地元に戻った住民はごく一部。これをどう見るか。

 多くの新聞やテレビは、一部に「とどまる」と表現し、被曝(ひばく)の不安や病院、学校など生活インフラの復旧遅れを指摘した。福島民報の視点は違う。「重要なのは人数ではなく、全くゼロの状況から住民が戻ったという現実。そこに光を当てたい」。報道部長らの説明と重なるのは「避難者と古里」と題した5日付の「論説」欄だ。

 浪江町で伝統の露天市が復活したことを喜び「被災市町村は復興している姿を発信し、つながりを維持してほしい。大切なのは古里を思い続けてもらうことだろう。帰還はその先にある」と結ぶ。

 事故が起きた年、中国新聞の連載「フクシマとヒロシマ」の取材を通じて福島民報と縁ができた。その気骨を最初に感じたのは、共同通信の配信原稿に「被災者感情に配慮した表現に努めてほしい」と注文を付けたという話だ。

 住民目線で考え、一緒に悩む。そこから本当のニュースは生まれるのだろう。避難生活の厳しさにいち早く目を向けた連載企画「『原発事故関連死』不条理の連鎖」は新聞協会賞に選ばれた。

 一方、原発回帰の流れには「福島の教訓を生かせ」と訴え続けている。6年前に混乱を極めた住民避難や巨額の賠償、農業や観光に大ダメージを与える風評被害…。ひとたび事故が起きると、取り返しの付かない被害が及ぶ。原発のたどるべき道は決まっていよう。

 「想定外」という言い訳は二度と許されないのも重要な教訓だ。それが生かされたと世間が感じたのは愛媛・伊方原発の運転を禁じた今月の広島高裁の決定だろう。阿蘇山の巨大噴火で原発が影響を受けないとはいえないとした。

 復興関連データをまとめた面以外に事故関連の記事があふれ、地元スポーツ選手の活躍など明るい話題を積極的に取り上げる。その方針は朝刊1面に掲げ続ける同社スローガン「ふくしまづくり 新たな挑戦で」にも表れていよう。

 記者たちは無我夢中で走り続けてきたに違いない。では将来に向けたビジョンはどうか。「目の前のことで精いっぱいというのが正直なところです」と打ち明けるのは渡部純記者(43)である。

 事故当時は浪江支局長で、被爆者医療の蓄積に目を向けて広島を取材。旧ソ連チェルノブイリ原発事故の被災地にも足を延ばした。今は本社の報道部で若手記者を束ねるキャップという立場にある。

 福島では先の見えない放射線との闘いが続く一方、県外では記憶の「風化」が叫ばれる。数十年という長い目で見れば、記者の世代交代という課題も出てこよう。

 裾野の広い連携が求められる。被爆地広島では被爆者やメディア、行政がスクラムを組んで核兵器廃絶を訴え、証言継承も進める。地方紙タッグも、訴えを広げるのに有効だろう。地方への身勝手な負担押し付けという点で原発と在日米軍基地は共通しており、沖縄と福島は手を組める。

 焦る必要はない。「県民の声や地元の動きを『記録』として残していく。それが新聞の使命だと思う」。渡部記者の言葉は、被爆地広島の記者の誓いとも相通じる。

(2017年12月21日朝刊掲載)

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