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社説・コラム

天風録 『湯川秀樹と「F研究」』

 昭和20年8月7日。既に高名な物理学者だった湯川秀樹博士の元に、新聞社から問い合わせがあった。日記に記す。<広島の新型爆弾に関し、原子爆弾の解説を求められたが断る>。母校京都大が公開した終戦前後の日記が関心を集めている▲博士が発言を極力控えた、戦争末期の原爆研究への関与を記していた。核分裂を指す英語の頭文字にちなむ「F研究」の通称が何度か出てくる。会合日程や顔ぶれに触れつつも、軍の統制もあって所感は見当たらない▲一方で、空襲被害の記事は丹念に写し、玉音放送は<戦争は遂(つい)に終結>とつづる。淡々とした筆致は何を意味するのか。戦後、原水爆禁止運動に情熱を傾けていく博士の胸中が垣間見えよう▲日本人初のノーベル賞を受けることになる博士だが、「反省と沈思の日々」だった。原料のウラン不足などで頓挫したとはいえ、原爆研究に手を貸したことは負い目だったのではないか▲期待と関心を寄せていたのは、平和憲法制定の動きだった。「憲政の神様」こと尾崎行雄の意見書から<文化と戦争は両立し得ず>を日記に引き写している。防衛費を膨らませる今の政治と、軍事研究に飛び付く科学者の姿はどう映る。

(2017年12月23日朝刊掲載)

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