×

社説・コラム

『論』 1968年の問い 「若者の季節」再び熱を

■論説委員 下久保聖司

 大学紛争、ベトナム反戦運動、成田空港建設に反対する「三里塚闘争」、水俣病への抗議活動…。

 さまざまな訴えや叫びが、時を同じくして列島にあふれていた。それが1968年の光景である。声を上げる群衆の中心もしくは、その一角に必ずと言っていいほど若者たちの姿があった。

 あれから半世紀。戦後まれとも言える「蜂起」は社会をどう変えたのか。今の時代に残ったもの、残らなかったものは何だろう。改めて振り返りたい。

 年の瀬に訪ねたのは千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館(歴博)だ。「『1968年』―無数の問いの噴出の時代」と題した企画展が昨年10~12月に開かれた。

 大学紛争の象徴とも言えるカラフルなヘルメットや三里塚闘争の腕章、ガリ版刷りのビラや白黒写真など、当時の関係者や大学から集めた約500点を展示した。

 ひときわ目を引いたのは「ベ平連」運動の旗である。正式名称は「ベトナムに平和を!市民連合」。在日米軍基地が遠く離れた東南アジアの戦争に加担していることに目を向けたのは、憲法の前文でうたう「平和を愛する諸国民の公正と信義」の発露でもあろう。

 この時代をリアルタイムで知らない私でも、企画展は戦後史の一端に触れるようで、好奇心をかき立てられた。「若者の季節」に向ける目を単なるノスタルジーで終わらせず、今の時代と重ねて考えるべきではないかと考える。

 国民の賛否が割れる中、現政権は国会での数の力で安全保障関連法や「共謀罪」法を成立させた。聞く耳を持とうとせず、異論を排除する政治などあってはならない。「こんな人たち」と昨年の東京都議選で聴衆に言い放った首相の姿にえも言われぬ寒々しさを覚えた。幅広い意見をくみ取ってこその民主主義で、首相が目指す憲法改正の論議では、なおさらだ。

■団塊の世代と戦後教育

 60年代後半の社会運動はそれぞれ訴えの中身や方向性の違いがあったにせよ、何が若者の心に火を付けたのか。ここにまず目を向けるべきだと考えるのは何も日本に限った現象ではなく、68年は「スチューデントパワー」という言葉が欧米諸国をも席巻したからだ。

 冷戦下、米国が首を突っ込んだベトナム戦争は泥沼化し、コロンビア大などで激しい反対運動が起こった。黒人指導者のキング牧師暗殺もあって公民権運動も激化。フランスの「5月革命」は学生と労働者がゼネストに突き進み、当時の西ドイツなどでも反体制運動が大きなうねりを見せる。

 「若者蜂起」が世界で同時多発した背景として、企画展を実質リードした歴博の荒川章二教授(65)は「先の大戦終結後、各国でのベビーブームが大きい」と指摘する。日本で言うところの団塊の世代(47~49年生まれ)で、その数は約806万人にも上る。

 「この世代の思想を形づくったのは戦後教育で、とりわけ日本では新憲法に基づく平和や人権の意識が強く教え込まれたのが大きいのではないか」と荒川教授はみる。彼ら彼女らが多感な20歳前後を迎え人口構成上でも圧倒的なボリューム層だった。功罪両面で「群集心理」が働いたのは確かだ。

 国立施設の歴博が反体制とも映る運動を取り上げるのは大胆かつユニークに思えた。「あえて時代評価を加えず、あるがままの資料を並べて見る側の感想に委ねた」と荒川教授は言う。より深く知ろうと関連の書籍や映像、関係者の証言に当たると、若者群像と同じく「戦後成人」を迎えた日本の悩みや葛藤が見えてこよう。

■背景に日本社会のひずみ

 朝鮮戦争特需や前回の東京五輪ブームなどを経て、日本は「いざなぎ景気」と呼ばれる高度成長を謳歌(おうか)していた。その影で社会のゆがみやひずみが生まれる。水俣病など公害が深刻化し、国際空港の成田開発のため、土地を失う地元の農民たちが国に反旗を翻したのが「三里塚闘争」である。

 二つの運動に不思議な共闘関係があったことを、当方は寡聞にして知らなかった。水俣病の原因企業チッソの東京本社前に座り込む患者や支援者に、三里塚の農民が米やら野菜やらを差し入れたという。そこに若者たちを結び付けた誘因として、当時の大学紛争におけるキーワードが「共闘」だったことも大きかったのではないか。

 学生と大学本部、経営陣の対立からそれぞれ始まった東京大と日本大の「全学共闘会議(全共闘)」は、燎原(りょうげん)の火のごとく、全国100を超す他大学にもストライキが広がる。歴博の企画展で「ストとは昨日までの自分へのストだ!」という学生の落書きを収めた写真が展示された広島大でも激しい衝突が繰り返された。

 大学進学率がまだ1割程度で、世間には「エリートの自己満足」と揶揄(やゆ)する向きもあった。ただ「学問の府の独立」や「金権主義との闘い」を訴える学生の姿に、社会の矛盾や権力の横暴にあらがう正義を感じ、懐からなけなしのカンパをするサラリーマンや主婦層も決して少なくはなかったことにも注目したい。

 果たして無数の訴えや叫びは何を残したのか。ことさら美化すべきではない。だが訴えの手段や賛同の輪の広げ方など、日本の社会運動や住民運動に新たな地平を切り開いたことは評価に値しよう。

 ただ69年の東大安田講堂立てこもり事件や70年安保闘争などが過ぎると大学紛争は急速に下火となる。学生や警察官に死傷者まで出した過激路線や仲間内でつぶし合う「内ゲバ」は厳しい批判を受けた。許されないことで、世間からそっぽを向かれたのも当然だ。

■傍観者ではいられない

 学生運動が沈静化して以降、若者はとかく政治に無関心になったといわれる。例えば「18歳選挙権」導入後初となる、昨秋の衆院選もそうだ。18歳と19歳の投票率は全国平均で40・49%で、全年代の平均より約13ポイントも下回った。

 むろん若者が全てそうだとは言い切れない。安保関連法の採決を巡って国会を取り囲んだ連日のデモは記憶に新しいところだ。今どきの若者も捨てたものではない、と感じた人もいただろう。

 ただ、こうした反戦・護憲運動に「平和ぼけ」「危険分子」などとインターネット上では誹謗(ひぼう)中傷が飛び交う。原発再稼働や在日米軍基地拡張の反対運動にも、それは見て取れる。ネット上でのバッシングに加え、デモ参加者の実名や個人情報の「さらし」行為が横行する。これらが若者たちを萎縮させ、社会への関心を奪っている面もありはしないか。

 右肩上がりの成長期だった60年代に比べ、先行き不透明な時代。就職第一で安定志向を若者が抱き、摩擦や衝突を極力避けたい気持ちは分かる。外野がたき付ける筋合いではないのかもしれない。ただキャンパスから平和や自由の風土が失われかねない危機においては、傍観者ではいられまい。

 政府が補助金で軍事研究を促す一方、産業界は理系強化に執心する。人材養成に力を注ぐこと自体は歓迎するにしても、国立大学改革で教員養成系や人文社会科学系学部の廃止や改組を求めた文部科学省の通知はいただけない。「文系不要論」と、学生のみならず世間が受け止めたのは無理もない。

 政府は「人づくり革命」「生産性革命」を新たに掲げた。政策自体の評価が分かれるとしても、人をベルトコンベヤーに載せるような響きがある。率直な疑問や不満を若者はぶつけたらいい。徒手空拳で行動に迷うようなら、団塊の世代に尋ねたらどうか。戦後史でもまれな「若者の季節」で培った経験や知恵は、今なお「現役」としての重みを失ってはいない。

<1968年前後の国内外の主な動き>

【1967年】
4・15 東京都知事選で社共推薦の美濃部亮吉氏が初当選し、革新都政が誕生
7・23 米デトロイトで史上最大の黒人暴動
8・3 公害対策基本法の公布
9・1 四日市ぜんそく、初の大気汚染訴訟
10・21 米ワシントンで10万人の反戦集会
12・11 佐藤栄作首相が非核三原則を言明

【68年】
1・19 米原子力空母エンタープライズが長崎・佐世保に入港し反対運動広がる
1・29 東京大医学部学生自治会が無期限ストに突入(東大紛争の発端)
1・30 南ベトナム全土で解放勢力が大攻撃を開始(テト攻勢)
2・5 沖縄嘉手納基地にB52爆撃機飛来
3・16 南ベトナムのソンミで米軍による大虐殺事件(ソンミ事件)
4・4 米国の黒人指導者キング牧師暗殺
4・15 国税庁が日本大で20億円の使途不明金と発表(日大紛争の発端)
5・8 厚生省、イタイイタイ病を公害認定
5・13 パリで学生、労働者がゼネスト決行し全仏に拡大(5月革命)
6・15 東大で青医連が安田講堂など占拠、全学部へ紛争拡大(7月に再占拠)
7・1 核拡散防止条約を62カ国が調印
8・8 札幌医大で日本初の心臓移植手術
10・13 メキシコ五輪開幕
10・31 ジョンソン米大統領が北爆停止表明
11・6 共和党ニクソン氏、米大統領に当選
11・10 琉球政府主席に革新の屋良朝苗氏
12・10 東京・府中市で3億円強奪事件

【69年】
1・18 東大安田講堂の封鎖解除に機動隊
5・23 政府が初の公害白書を発表
6・10 南ベトナム臨時革命政府樹立
7・20 アポロ11号、初の月面着陸
8・3 大学運営に関する臨時措置法成立
10・15 全米にベトナム反戦運動広がる
12・15 公害健康被害救済措置法の公布
12・17 文部省、大学紛争白書を発表

(2018年1月3日朝刊掲載)

年別アーカイブ