連載・特集

イワクニ 地域と米軍基地 各地からの報告 <5> 沖縄㊦

当事者意識 本土と溝

 怒号が飛び交っていた。沖縄県名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブのゲート前。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の辺野古移設に反対する市民たちと県警機動隊がにらみ合う。座り込んで抵抗する市民を機動隊が抱えて「排除」すると、資材を満載にしたトラックが次々と工事用入り口に吸い込まれた。

抗議の座り込み

 辺野古移設に反対する市民は2004年4月、政府による海域のボーリング調査を阻止するため、辺野古漁港周辺で抗議の座り込みを始めた。移設予定海域に隣接するキャンプ・シュワブ前では、工事車両の出入りが本格化した14年7月に座り込みを開始。記者がキャンプ・シュワブ前を訪ねたのは昨年12月13日午前9時前。激しい抗議活動は同日だけではない。この3年半近く続いてきた。

 「米軍基地は日本全体の問題なのに、ヤマト(本土)では関心が高まらない」。市民団体「ヘリ基地反対協議会」(名護市)の安次富(あしとみ)浩共同代表(71)は苦々しそうに話した。キャンプ・シュワブ前から20分ほど歩いて辺野古の集落を抜けると、透き通った海が広がっていた。沿岸部で、埋め立てに向けた護岸工事が進んでいた。

 政府は、宜野湾市の面積の約4分の1を占める普天間飛行場(面積約4・8平方キロ)返還へ、「唯一の解決策」として辺野古移設に突き進む。沖縄県には、日本にある米軍専用施設の7割が集中する。県側は普天間の早期返還を求める一方、辺野古移設が県内の基地負担の固定化につながると反発。翁長雄志(おなが・たけし)知事は「あらゆる手段」で移設を止めると明言し、工事差し止め訴訟で対抗している。

被害者側を中傷

 昨年12月13日、キャンプ・シュワブ前での衝突後、座り込みを続けていた市民に再び怒りの声が上がった。普天間飛行場に隣接する普天間第二小学校の運動場に重さ7・7キロのヘリコプターの窓が落下したとのニュースが飛び込んだからだ。

 辺野古からは車で約1時間の距離。同小に駆け付けると、児童を迎えに来た保護者たちが硬い表情で校門を出入りしていた。小学3年の長男がいる父親(38)は「あらためて基地のそばに住む怖さを感じた」と憤った。その6日前にも、同小の東約1キロにある緑ケ丘保育園に、米軍機の部品とみられる円筒状の物体が落下したばかりだった。

 大惨事につながりかねない事故にもかかわらず、学校側や保育園に誹謗(ひぼう)中傷が相次いだ。「学校の方が移転しろ」「基地のおかげで生活しているのだから我慢すべきだ」…。宜野湾市教委は「大半は県外からの電話だった」と説明する。

 保育園には「自作自演ではないか」といった電話や電子メールが事故後、1日に10件以上寄せられた。今月に入っても続いているという。沖縄県基地対策課は「米軍が起こした事故で、被害者側を中傷する声が寄せられたことは記憶にない」とした。

 「抗議活動を含め、沖縄に関する誤った認識が広がっている」と、保育園の神谷武宏園長(55)は危機感を強める。「集中している米軍基地を何とかしてほしいと県民が訴えても、国全体の問題にならない。そこにあるのは沖縄への差別意識じゃないでしょうか」。基地を巡り、本土と沖縄の「分断」が広がる現状を神谷園長は憂えた。(明知隼二)

米軍普天間飛行場の辺野古移設問題
 1995年の米兵による少女暴行事件をきっかけに、日米両政府は96年、沖縄県宜野湾市中心部にある普天間飛行場の返還で合意。日本政府は99年、名護市辺野古への移設を閣議決定した。2014年の知事選で辺野古移設に反対する翁長雄志氏が当選。計画の阻止と県外移設を掲げて政府と対立している。一方、日米両政府は、辺野古移設が普天間飛行場周辺の負担や事故リスクを軽減する「唯一の解決策」との主張を堅持している。

(2018年1月7日朝刊掲載)
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