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社説・コラム

『潮流』 折り鶴と「ヨブ記」

■報道部長 林仁志

 平和記念公園に足を運び、原爆の子の像に折り鶴を届けた。阪神大震災の被災者を支援している神戸の知人に頼まれたからだ。2009年の暮れ。街も人も大きく傷ついてから15年になろうとしていた。

 赤、青や緑に、チラシで折ったまだら模様の鶴も交じっていた。数は500。「復興はいまだ5合目。だから500羽なんだ」。そう説明を受けて預かった。

 こしらえた人と面識はなかった。知人がサポートしていた高齢女性。復興住宅で夫をみとり、1人で暮らしていたとか。知人によると、自宅訪問を始めた頃はたいてい横になっていて、声を掛けても「ああ」「いや」くらいしか返ってこなかった。何においても投げやりだった。

 歳月が人を癒やしてくれるのか、次第に気力を取り戻した。証しの一つが折り紙。だが、400を超えたあたりで命尽きた。ささやかな遺品の中に折り鶴と、旧約聖書「ヨブ記」があったと聞いた。

 打ち続く試練、絶望、神との対話を経て回復に至るヨブの物語と、祈りを込めた折り鶴…。話が出来過ぎているのではという、こちらの心中を見透かすように彼は言った。

 「神戸にはこうした話はいくつもある。何かに心を寄せないと前に進めない人がたくさんいる」。そして「焼け野原から復興を果たした広島に置いてほしい」と、仲間と500羽にした鶴を私に託したのだ。

 あの頃、神戸の街は活気がみなぎっていた。至る場所に傷痕はあったのだろうが、目が行くのは真新しいオフィス、林立するビル群だった。ただ、人の暮らしは街を再建するようにいかない。被災者と接する彼には「5合目」が実感だった。

 きのう、神戸はあの日から23年を迎えた。復興はいま何合目まで来ているのだろう―。問い掛けてみたい彼は、もうこの世にいない。

(2018年1月18日朝刊掲載)

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