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遺品 無言の証人

共に生きたバックル

血染めの記憶を伝える

≪無言の証人・被爆時のバックル≫
 「SANYO」。浮き彫りの赤い文字は所々がはがれている。山陽中(現山陽高)3年生だった広島市安佐南区の篠田四郎さん(87)が、学徒動員中に被爆した時に身に着けていた校名入りのベルトのバックルだ。

 あの朝、爆心地から2キロの皆実町(現南区)の工場にいた。ピカッと光り、木造の建物はぺちゃんこ。暑さで上半身裸だったため首や体に砕けたガラスが刺さって血だらけになる。卒業生の兄にもらったバックルは表面が破損し、血が固まってこびりついたという。

 戦後、仕事に就いてからも大切に使い続けた。「一緒に原爆におうた、唯一の証拠。体の一部よね」。被爆70年の節目に原爆資料館に託したのは、自分が死んだら守る者がいなくなるという思いからだ。

 山陽中と関連2校は475人が被爆死した。「原爆は恐ろしいもんじゃということを、後に生きる人たちに、いつまでもいつまでも伝えてほしい」

 戦後を生き抜いた被爆者が老いを重ねる。その中で共に被爆した身の回りの品を寄贈するケースが増えている。犠牲者の遺品だけではない。持ち主が健在な資料もまた、あの日の重要な証人なのだ。(桑島美帆)

(2018年1月22日朝刊掲載)

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