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社説・コラム

『想』 吉田恭子 横路先生の思い出

 この春、核戦争防止国際医師会議(IPPNW)日本支部事務総長を22年間務めた横路謙次郎広島大名誉教授の三回忌を迎える。日本から遠く離れ、訃報に接したのは一昨年の暮れ。90歳近かったので覚悟はしていたが大きな喪失感に襲われた。

 横路先生に初めてお会いしたのは1986年。IPPNWは前の年にノーベル平和賞を受賞し、会長らが世界各地を講演中。広島県医師会の依頼で広島訪問の際の通訳をした。その後、広島で初の世界大会が89年10月に開催されることが決まり大会事務局入り。大会後は県医師会職員となり、広島大研究室の先生の指示を仰ぎ仕事をした。先生は放射線生物学の白血病や乳がんの分野で先駆者的存在。IPPNWの日本の顔なのに偉ぶったところがなく、気さくでおうようだった。好奇心あふれ飾らない態度は誰に対しても同じ。世界大会の折、広島から長崎への列車で海外の医学生に囲まれ話していた姿を思い出す。

 清廉だった。海外出張の際は常にエコノミークラスを利用し、ホテルも中流クラス。ご病気後は体が少し不自由になったため海外へは夫人を同伴したが、夫人の旅費は自己負担だった。

 バランス感覚にも優れ、判断力と決断の速さ、行動力には何度も驚かされた。核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN(アイキャン))が昨年ノーベル平和賞を受けたのも、国際司法裁判所で核兵器使用の国際法違反を明らかにしようとしたIPPNWなど3団体の運動が源流だろう。92年に本部から打診を受け、先生はすぐに県医師会や広島、長崎市の賛同を得て支援。同裁判所の審理で95年に両市長は陳述した。残念ながら同裁判所は違法か合法か、明確な判断は避けた。

 本部が一昨年、各国に発信した追悼文に「2017年に核兵器禁止条約を国連で採択させることこそが、横路先生への追悼になる」とあった。その通りになり、先生の存在の大きさを再認識し感慨深い。先生に出会えた幸運に感謝し、心からご冥福をお祈りしたい。(IPPNW日本支部元職員、ブラジル・サンパウロ州在住)

(2018年2月9日セレクト掲載)

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