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デブリ未着手 遠い廃炉 福島第1ルポ 汚染土処分 めど立たず

 東京電力福島第1原発は、炉心溶融(メルトダウン)を起こした原子炉建屋から使用済み核燃料を初めて取り出す準備が、最終局面を迎えていた。事故発生から3月で7年。1~3号機には、溶け落ちた核燃料(デブリ)が手つかずのまま残る。廃炉の進展は見通せず、避難指示は解除されても、事故前の数%しか住民が戻っていない町もある。今月上旬、日本記者クラブの取材団として訪れた福島の今を報告する。(井上龍太郎)

 水素爆発で建屋上部が吹き飛んだ3号機。プールに保管されたままの燃料566体の搬出に向け、屋根カバー設置の総仕上げに入っていた。東電の廃炉担当者は「デブリの取り出しとともに、廃炉への最大のミッション」と強調した。

カバー設置完了へ

 今は毎時1ミリシーベルト以下の建屋上部の放射線量は事故直後、毎時2シーベルトあったという。短時間に7シーベルトの放射線量を浴びると1カ月以内に死亡するとされる。建屋上部は人が作業できるほどに放射線量が下がった。カバーの設置は近く終わり、2018年度半ばから搬出に移る。

 だが、廃炉の道のりは遠い。政府は昨秋、1、2号機に残る使用済み核燃料の取り出し開始時期を「23年度めど」と3年遅らせた。デブリの取り出し工法なども定まらない。

 7年の間に線量は下がり、構内の大半は手袋と防じんマスクなど軽い装備で問題ないという。だが、1~4号機周辺の低地は線量が高かった。2、3号機の間をバスで通過する際、測定器は毎時250マイクロシーベルトを示した。作業員の被曝(ひばく)量を抑える対策が欠かせず、廃炉の工程は先送りを繰り返している。

 汚染水の扱いも焦点だ。350万平方メートルの構内の至る所に、容量が千トンを超す巨大なタンクがあった。貯蔵する水は高濃度汚染水を浄化した後に残る放射性物質トリチウムを含む。担当者は希釈しての海洋放出などに言及。ただ、漁業関係者を中心に風評被害の懸念もあり「福島県の皆さまと考える」と言葉をつないだ。

なお立ち入り制限

 昨年10月には、福島県内の除染で生じた汚染土や廃棄物を保管する中間貯蔵施設が、原発が立地する大熊、双葉両町に本格稼働した。汚染土が県内各地に仮置きされてきた状態の解消を図る。だが最終的な処分地のめどは立っていない。

 原発事故で避難した福島県の住民はピークの12年に約16万5千人。政府は昨春、4町村に出していた避難指示の一部を解除した。一方、大熊、双葉両町は今なお立ち入りが制限されている。両町を走る国道6号の脇道は柵などで封鎖。汚染物質の入った袋が野積みとなっている場所もあった。

 大熊町に隣接する富岡町は昨年4月、一部を除いて避難指示が解除された。中心部では、町が整備した公設民営の複合商業施設が全面開業。津波の被害を受けたJR常磐線の富岡駅前には昨年10月、ホテルもオープンし、復興に向けた環境整備が進みつつある。

 町は厳しい現実も突き付けられている。東日本大震災が起きた日の人口は約1万6千人。県によると、居住者は昨年12月1日時点で376人という。

 町民有志が昨年1月に設立した一般社団法人「とみおかプラス」。住民のつながりを再生しようと、自慢だった桜並木のライトアップや夏祭りの復活に取り組んできた。代表理事の大和田剛さん(65)は「7年がたち、町民はそれぞれの避難先で新たな生活を築いている。難しいけれど、イベントが帰還の呼び水になれば」と期待を込めて語った。

(2018年2月12日朝刊掲載)

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