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社説・コラム

『潮流』 梅花凜々

■報道部長 林仁志

 いっときの寒さも和らぎ、各所で梅の花がほころんでいる。出勤途上にも2本の若木があり、それぞれ紅白に色づきつつある。花に目をやり、幹、根元へと視線を下ろしていく。梅花をめでるときの個人的な「流儀」である。

 始まりは平成最初の冬。取材で被爆者の自宅を訪れてからだ。60代の男性だった。一通り話をうかがい、腰を浮かせかけたときに庭の花に気付いた。満開の白梅。「見事ですね」とうなると、「美しさを支えているものは何か分かりますか」と問われた。

 原爆で肉親を失い、自身も傷ついた。癒えても体は無理が利かず、若い頃は仕事も長続きしなかった。伴侶にと思った女性もいたが、向こうの家族の反対に遭い諦めた。挫折、差別や偏見…。命永らえる意味を見いだしかねていた時期に、救ってくれたのが梅の古木だったという。

 人間の仕業か、自然の猛威が原因なのか。根元近くが曲がっていた。地面をはうように主幹を伸ばし、枝を茂らせる「臥龍梅(がりゅうばい)」。こぼれ咲く花に心動き、のたうつ幹の様子が自身のようにも思えた。凜(りん)とした強さ、気品はどこから来るのだろうと考えたとき、盛り上がった株元に目がいった。

 「根さえしっかりしていれば、花が咲く。実だってなる」。男性は言葉を切り、生きる指針に植えたという庭の梅に向き合った。さらに「あそこを見てほしい」とこぶ状の根元を指さし、ガラス戸を引いた。寒気とともに香気が部屋に流れ込んできた。

 人生を振り返っての所感だったのか。見るべきものは何かを駆け出し記者に教えようとしたのか。それとも、人のありようを伝えたかったのだろうか。今も心に引っかかりを覚える。

 以来、梅花に行き合うたびに根元を見やる。自らを省み、「しっかりと根を張っているか」と問いながら。

(2018年2月22日朝刊掲載)

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