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社説・コラム

『潮流』 明治と女性史

■論説委員 森田裕美

 2018年を迎えてからずっともやもやしている。きっかけは安倍晋三首相の年頭所感だ。冒頭から今年が明治維新150年の節目であることを強調し、女子教育の先駆者津田梅子を持ち上げた。そこに今のアベノミクスを重ね、女性の就業率が高まったと誇った。

 津田は明治初期、岩倉使節団に随行し、女性初の留学生として米国に渡った一人だ。その後、日本の女子高等教育の発展に尽くした功績は、確かに大きい。

 でも明治の近代化と「女性活躍」を結び付けるのは、どうも違和感がある。取材を通じて、明治期につくられたジェンダー観が、今も女性を縛り続けていると感じてきたからだ。

 例えば明治民法は、家父長的な「家」制度を定め、妻は夫の所有物のごとく扱われた。刑法は姦通(かんつう)罪で女性にのみ貞節を求めた。

 政府はそんな負の部分には目をつぶったままなのだろうか。「明治の歩みをつなぐ、つたえる」との合言葉を掲げ、節目を祝う記念事業には積極的である。

 何がめでたいのかと、心に引っ掛かりを抱える人は、少なくないようだ。広島市南区の仁保公民館で始まった連続講座「明治150年と女性」をのぞき、少しすっきりした。

 市内外から20~80歳代の女性たちが詰め掛け、会場は熱気に満ちていた。初回講師は佐伯区出身の女性史研究者平井和子さん。明治が戦争に明け暮れた時代だったこと。富国強兵の掛け声で兵役が始まると男性中心の社会が構築され、女性差別が制度化されたこと。語られてこなかった歴史の断面を丁寧に解説した。

 光の当たる歴史があれば、影となる断面もある。「私たちがこれまでと違う視点からも歴史を解釈することが大切と痛感した」。受講者が口にした感想が印象的だった。節目の年は、あちこちから影を照らす機会なのかもしれない。

(2018年3月3日朝刊掲載)

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