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社説・コラム

『潮流』 語ることの意味

■ヒロシマ平和メディアセンター長 岩崎誠

 東日本大震災の「語り部」佐藤敏郎さんの話を広島で聞いた。広島経済大の学生たちが東北支援プロジェクトで講演会を開いた。

 この7年、幾つもの顔で活動を続ける。一つは遺族として。まな娘が大川小(宮城県石巻市)で犠牲になった児童74人の一人だったのだ。遺構に足を運ぶ人たちを案内し、いまだ解明に至らぬ惨事について思いを語っている。

 もう一つは国語教員として勤務した同県の女川町や東松島市の中学校で被災した生徒たちを支えたこと。思いを託す句作を促し、思い悩む生徒たちを語り部活動に導く…。今は教員を退職し、「小さな命の意味を考える会」の代表として各地を回る日々だ。

 話を聞いて目頭が熱くなった。津波の3日後、佐藤さんの娘は泥だらけになった30~40人の子どもたちの遺体の中にいた。漂流物で頭を打って即死したらしく、ヘルメットにひびがあった。「眠っているよう。起きろといえば起きそうだった」。忘れてはならないと心に刻んだという。

 かわいそうだ、悲惨だ、つらい。そうした思いだけではなく、子どもたちの死の意味付けができないか―。佐藤さんが語る理由だ。それは何か。救える命を守れる未来をつくっていくことだという。

 被爆者が長年語ってきた意味と重ね合わせた。ヒロシマ・ナガサキの数多くの死を忘れず、未来の子どもたちのために核兵器のない世界をつくることだろう。核を巡る国内外の情勢を見るにつけ、原点に立ち返らねばと思う。

 佐藤さんら震災の語り部が継承の輪を広げようと昨年、発足させた団体が「3・11メモリアルネットワーク」だ。9日に石巻市でシンポジウムを開き、広島からは元原爆資料館長の原田浩さんが基調講演に立つ。細々ながら続く被爆地と被災地の縁を生かし、命を守る意味を、考え続けたい。戦争でも、災害でも。

(2018年3月8日朝刊掲載)

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