社説・コラム

社説 原発事故と裁判 福島の「闘い」 今も続く

 東日本大震災からきょうで7年。道路復旧や住宅の高台移転などインフラ関連の復興が進む一方、原発事故が起きた福島県を中心に7万人以上が避難生活を強いられている。その無念や苦悩、葛藤が事故関連の裁判から改めて浮かび上がる。

 先月の判決には胸が詰まる。事故発生から1カ月後、福島県飯舘村の避難指示を知った102歳の男性が自ら命を絶ったことに対し、福島地裁は「耐え難い苦痛を与えた」ことが原因として、東京電力に賠償を命じた。事故と自殺の因果関係を認めた判決は3件目だ。

寄り添う社会に

 原発事故や震災が原因とみられる福島県内の自殺者は昨年末までに99人に上る。お金で全てが償えるわけはなく、故人や遺族の悲しみや怒りは決して消えまい。事故が原因とみられる自殺には、東電はもとより、原発の安全規制を怠ったと指摘される国も責任を認め、誠実な対応を示すべきだろう。

 事故から7年たった今も精神的に立ち直れない人は多い。取り残された、という諦めを被災者に感じさせてはいけない。震災直後、社会全体で誓った「寄り添う」という言葉を目に見える形で示したい。

 心の変調に限らず、住まいの面でも落ち着きを取り戻せていない被災者の現実にも目を向ける必要がある。とりわけ、賠償の枠外に置かれた自主避難者らへの生活支援が乏しいことだ。

 山形県米沢市の雇用促進住宅で暮らす8世帯が、住宅を所有する法人から、立ち退くよう訴えられた。昨春の公的支援打ち切り後の家賃不払いが理由だ。住民側は訴えられるのは覚悟の上だったようで、裁判を通じて避難者の困窮ぶりを世に伝えたいとの考えがあったという。埼玉、山梨県でも争われた同種の訴訟はいずれも住民側が敗訴したが、そもそも問われるべきは被災者に対する補償の在り方やその期間ではないのか。

切り捨て許せぬ

 国は昨春、原発周辺地域の避難指示を大幅に解除した。現政権が公約に掲げる除染の進展をアピールするとともに、東電の賠償負担を減らすのが狙いだったとみられる。だが住民には戻りたくても戻れない現実があるのではないか。政治や電力会社の都合による身勝手な切り捨てと捉える人もいるに違いない。

 ふるさとを元の姿に戻せ、納得いく補償をせよ―。避難住民たちが各地で起こしたいわゆる「生業訴訟」では、国の指針を上回る賠償を東電に命じる判決が目立つ。生活基盤を奪われた苦痛について、償いの対象と認定。さらに東京地裁は「ふるさと喪失は憲法が定める人格権の侵害に当たる」と踏み込んだ。

 この集団訴訟の判決には重い意味がある。大津波を予見した長期評価に基づく対策を怠った東電の過失や、国が事故前に安全規制の権限を行使しなかった不合理を、厳しく断じている。東電の旧経営陣3人が業務上過失致死傷罪で強制起訴された裁判の行方に影響するとの見方もある。

 未曽有の事故を起こしながら東電が刑事責任を問われないのはおかしい―と思うのは、福島県民のみならず多くの国民の実感ではないか。裁判を通じて事故原因や経営責任を検証することで再発防止にもつなげたい。

 原発再稼働に反対する裁判も各地で起こされている。中でも注目すべきは広島高裁が昨年、愛媛県の伊方原発に運転差し止めの仮処分を出したことだ。阿蘇山の長期的な噴火リスクに言及したのは、「想定外」の言葉で福島事故を釈明した東電や国への戒めの意味もあろう。

エネ政策転換を

 福島の原発事故を受けて、ドイツや韓国などは脱原発に向けてかじを切り、再生エネルギーの普及が世界規模で進む。この潮流に反し、日本の原発回帰とも映る動きは理解しがたい。

 事故後7年たっても福島の被災者が続ける法廷闘争は、原発事故がもたらす被害や傷の深さを物語り、原子力行政の危うさを問うてもいる。被災者に真摯(しんし)に向き合うとともに、エネルギー政策を転換すべきだ。

(2018年3月11日朝刊掲載)
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