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「平和の庭」バラが結ぶ 広島の本川小 有志整備

原田東岷さん作の品種/モニュメント移設

 爆心地に近い本川小(広島市中区)に、有志の手で「平和の庭」が造られる。平和活動に尽力した外科医、原田東岷さん(1999年死去)が手がけたバラなどを植樹する。原田さんとバラ作りを通して親交を深めた米国の女性実業家ゲイル・コットマンさん(72)が22年前に建立した平和モニュメントの一部も、府中市上下町から25日までに移設される。(金崎由美)

 計画では、原田さんが作出した「ヒロシママインド」やコットマンさんから贈られるバラに加え、長崎の故永井隆博士ゆかりのバラを新学期までに順次植える。手入れは地元住民らでつくる「本川おもてなし隊」(田中八重子会長)が児童と一緒に担う。校内には、被爆建物の平和資料館と被爆樹木を植えた「平和の森」もあり、「平和のトライアングル」として平和学習に生かしていく。

 バラの植樹場所の隣に据える平和モニュメントは「わたしたちの庭」と名付けられた屋外芸術。高さ90センチの四角柱に、ブッダをイメージした像が載る。

 米アカデミー外国語映画賞の審査員を務めるコットマンさんは、ハリウッドの自宅庭に原爆犠牲者の慰霊と平和への思いを込めた芸術作品を置いている。広島市内に同様の作品を贈りたいと95年、被爆地を訪問。その時は上下町(当時)でユースホステルを経営していた故森岡まさ子さんが手を挙げ、翌年に矢野温泉四季の里に建立された。

 しかしモニュメントの老朽化が年々進み、コットマンさんと親しい広島市東区の広告会社社長、中原薫さん(58)が胸を痛めて旧上下町関係者やおもてなし隊メンバーらに相談。バラ植樹に合わせて本川小に贈ることになった。移設費を負担する中原さんは「被爆地に安住の地を得て、バラとともに児童が語り継いでくれる。原田さんも天国で喜んでいるはず」と話す。

 原田さんは中区広瀬町で病院を営み、被爆者のケロイド治療に尽力したほか、平和のバラを世界各地に贈った。吉岡克弥校長は「原田さんの功績とともに、世界の人がヒロシマに寄せる思いを児童が学ぶ場になる。永井博士のバラを通じて長崎への関心も深め、視野を広げるきっかけにもしたい」と期待している。

(2018年3月19日朝刊掲載)

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