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社説・コラム

『この人』 日系人野球史の研究を続ける ビル・ステープルズ・ジュニアさん

銭村氏の人生 ほれ込む

 広島から米国に渡った後、日系人野球の発展に尽くした銭村健一郎氏(1968年、68歳で死去)。その生きざまにほれ込み、足取りを調べ上げた。2011年に米国で出版した伝記が評価され、立命館大(京都市)の招きで初来日し、22日に同大で講演。「野球殿堂入りに値する人物だ」と熱っぽく語った。

 米テキサス州で育ち、子どもの頃から大の野球ファン。銭村氏の存在を知ったのは03年だった。アリゾナ州に転居し、あるネット記事を読んだのがきっかけ。自宅がある街の近くに第2次世界大戦中に米政府が日系人を隔離した強制収容所の跡がある。そこに入れられた銭村氏が、自力で収容所内に球場を造り、仲間とリーグ戦を繰り広げたと記されていた。

 「不幸で不自由な世界で、銭村氏がどうやって幸福と自由を見いだしたのか。知りたくなった」。01年の米中枢同時テロを受け、足元ではアラブ系住民への偏見が広がっていた。「強制収容の過ちを繰り返さないためにも、彼の生き方から知恵を得たいと思って」。地元企業でマーケティングの仕事をしながら、戦前の関連記事や公文書を読みあさり、銭村氏の息子や友人宅にも再三、足を運んだ。

 見えてきたのは、野球に情熱を燃やした多くの日系人の姿。とりわけ銭村氏は戦前から日米の野球交流を支え、戦後も数多くの後進を育てたと知った。「彼は太平洋に橋を懸け、アジア人が大リーグで活躍できる時代の基礎を築いたんだ」

 出版後は講演にも呼ばれるようになった。「いつか銭村氏を生んだ広島にも行きたい。多くの人に彼の功績を伝えたい」。殿堂入りに向けた働き掛けも始めた。妻と1男1女の4人家族。(田中美千子)

(2018年3月23日朝刊掲載)

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