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南部変電所 被爆前の姿 府中市の民家に写真 山中高等女学校体育館も

 府中市上下町の民家で、被爆前の広島市中心部の建物を写した写真が見つかった。今の南区宇品御幸にあった旧中国配電南部変電所と、中区千田町にあった山中高等女学校の体育館の2枚。同変電所の被爆前の写真が見つかるのは初めて。原爆資料館(中区)は「当時の様子を知る上で貴重な写真」としている。(河合佑樹)

 2枚とも縦21センチ、横27センチで、建物のほぼ全景を収める。ともに原爆資料館などには所蔵がない。南部変電所は南東側からの撮影とみられ、ドアには「南部変電所」の表札が掛かる。原爆資料館によると、東側の歩道の縁石の切れ目や街路樹の有無から、被爆前の可能性が高いという。中国電力にも同変電所の被爆前の写真はなく、「確認するのは初めて」という。

 一方、山中高等女学校の体育館の写真には前に10人が並んで写り、校庭から記念撮影したとみられる。同校が前身の広島大付属福山中・高(福山市春日町)には、被爆前の同体育館の写真が数枚ある。

 原爆資料館は「南部変電所は被爆後も活用され、最近まで平和を訴え続けた。多くの犠牲者を出した山中高等女学校は、悲惨さを後世に伝えている。建物の往時の姿を知ることで理解も深まる」としている。

 上下町の写真館経営稲垣千津子さん(62)が実家で見つけた。祖父の故中山文夫さんは建設会社を経営していた。2枚とも写真の下に「施工者 中山組建築事務所」と印字されており、工事に携わったとみられる。

 ほかにも、被爆前の広島市の可能性がある写真が数点見つかった。稲垣さんは「平和を訴える資料として使ってほしい」と、2枚を含めた写真の寄贈を検討している。

中国配電南部変電所
 1943年に中国配電(現中国電力)が建設した。鉄筋2階建て。爆心地の南東約3・8キロにあり窓ガラスが破損したが、被爆翌日に送電を再開した。94年まで中電宇品変電所として稼働。その後飲食店に貸し出され、ことし解体された。

山中高等女学校体育館
 1937年建設で鉄筋平屋。同校は45年に広島女子高等師範学校付属となった。爆心地の南東約1・7キロにあり、屋根の大半が損傷、窓ガラスが吹き飛ばされた。校内と建物疎開作業中の生徒たち計約400人の犠牲者が出た。体育館は被爆後間もなく解体されたとされる。

(2018年4月24日朝刊掲載)

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